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カートヴォネガットとブルータス

※この話は、ナンセンスです。
あまりこういうことは公に書きたくない。
でも、大好きなので、ダイレクトに伝わらない可能性を危惧し作成。
取り扱い注意。


ブルータスで、爆笑問題の太田氏が紹介している。



彼は最近、テレビ番組で政治色の強さを出しているので、ヴォネガットが合うのだろう。
賛成も反対もしているが面白いと思う。
ただ一概にヴォネガットと太田氏がリンクするとは思えない。

一見、ヴォネガットを読むと社会主義と呼ばれたり、マイケルムーアとイコールで書かれそうだし、大半の日本人はそう見るかもしれない。
そうともすると、この本は日本人には受けないだろうと思う。
はたまた僕も典型的日本人ではあるし、母国を批判する気はないのだが。

日本は思想的な言及はやめたし、右、左はタブーに近い。
誰も論争には上げない。ましてや呑み屋とかでも。
僕だってノンポリでありたいと思う。
こういうことを言うと宮崎哲弥や勝屋誠彦から批判を受けるだろう。
凡人でよかった。
でも日本では政党と宗教の話を辞めた。
僕もしない。絶対にしない。
心を許して、論議できる人と家族を除いては。
思想の話をすると下手したら色眼鏡で見られる。疎んじられる。
それは新興宗教や急進派やイスラムやらの情報整理が全く行われなかったことに起因していると思います、特に戦後に。
ただ話さないことが保守を支持し、戦争に繋がっていることも理解されてはない。

っとヴォネガットに戻りたい。

ヴォネガットの作品全てを、僕はジョークであり、皮肉であると思う。
言葉の裏には何が書かれているか?それを想像すると楽しし、重要だと思う。
右脳が刺激されている感じである。
「新しい側面から新しい視点で物事を見る」きっかけに相応しい人です。

ヴォネガットの作品には、正当なジョークが書かれていて、真実を言いたがっている。
でも正統な言い方ではかっこ悪い。だからジョークを言うんだと。
そこら辺が刺激的である所以だと思う。

たぶん太田氏も噺家であり落語家でありたいのであろう。
ヴォネガットに通じるのはそこでしょう。

しかし、太田氏の言動とヴォネガットがイコールで言われると、物凄く違和感を感じる。
それはきっと彼が急進的な左のような振る舞いを番組でしているからだと思う。
本当は振舞いたくないかもしれないが。

太田氏が日本版ヴォネガットになるには、テレビに出ることを辞め文筆家になってこそでしょう。
結局はマスメディアは編集能力が高く、多くのことを都合よく解釈するのだから。
でも個人的には応援してます。真摯で愚直だから。

ヴォネガットが良い形でも悪い形でも、浸透して欲しいなぁ。
マスメディアは、まともな形で扱わないだろうけど。
一部のミュージシャンやアーティストだけでは勿体無い。




蛇足だが海外のメディア従事者やクリエーター、アーティストがリベラルであることが、すごくかっこいいとは思うんです。
リベラル=左翼ってぐらい考えなきゃダメかもしれない。

皆はヴォネガットをどう読んでいるのだろう?