5時40分起床。

楽天のスポットレンタルをポストに返却。1枚50円×6枚+郵便代300円で計600円。1枚100円換算となる。ツタヤやゲオでもたまに100円とか、80円とかやっているので特別安いという感じでもない。

むしろ返却日が先方への必着期限となっているため、1日でも遅れると大変なことになる、という恐怖感が先に立ってくる。郵便という第三者のサービスを介してやり取りする仕組みにもかからわらず、必着期限と設定するのはいかがなものか。

草野球のバッティングのスクールをネットで探していると「上達屋」というのが見つかった。過去に何冊か著作を読んでいた手島一志氏が主催しているらしい。

30分6300円、にはたじろぐが、他に適当なのが見つからないので、1回行ってみようと思う。野球のスクールっていうのは、子供をエリートに育てるのがたいてい基本コンセプトなので、大人向けを探すのは構造的に難しい。

夜9時から渋谷ユーロスペースで「何も変えてはならない」を観る。いくつかのカットにおけるカメラアングルが面白い。音楽の豊穣さがモノクロ基調の映像に想像以上の彩りをもたらしている。音楽が生まれる瞬間が綿密な取材の成果で見事に切り取られる様はスリリングだ。一方で、ペドロ・コスタの作品としては、これまでになくリラックスしたものと感じられる。次作へのインターミディエイトとしての役割を担う位置づけなのかもしれない。



7時起床。
ネット見てグダグダし、シャワー浴びて9時半家を出る。

10時からゴルフレッスン。インパクト時に左膝が身体の正面より左側に流れないこと、身体の前傾を保つことが今回のポイント。

前回別のコーチからトップから左膝を先導させる指示を受けたが、それは変化球かと思われる。実戦でスイングが狂ってきたときに試してみるのがいいのではないか。

終了後渋谷へ。ユーロスペースへ行くも、目当ての映画はレイトショーだという。今朝映画館のサイトで11時40分と確認していたのだが。適切なサイトの修正を望む。

時間が空いてしまったので、昼飯の店を考える。渋谷はこれといったカレー屋がないのが常に難点。近くのリトルショップは休み、炎天下246を歩いてムッシュヨースケへ。2度目の訪問だ。カツカレーを注文、ここのカレーソースは独特でよい。

食後まだ時間があるので駅戻る途中にあるコーヒー屋に入る。

シアターNで「わが闘争」「続わが闘争」を連荘で鑑賞。ひとつの史観として重みがある。現在でもここに描かれているのと同様な、人道に対する罪は犯され続けているのではないだろうか。人間の本質に刻み込まれた残虐性は、法により封じ込まれてはいるものの、それがどんなに欺瞞であったとしてもひとたび合法性を担保されるや、堰を切ったようにどこまでもエスカレートしてしまう。押さえつけられた本質的な欲望が歪んだ形で内部に蓄積されればされるほどそれが表面に現れた際の反動も大きいということもあるだろう。抑圧から解き放たれた際のエネルギーの爆発として、社会的に正のベクトルを持つか負のベクトルを持つか、という評価軸が違うだけという考えることも可能なのかもしれない。日常の反復行為は必然的により強い刺激を希求する、という本質論も参照されるだろうか。また、現代社会が求めてやまない効率主義、科学主義にひとつの究極的な解を与えるとするなら、このような形を取るしかないのか。全くの正解はなかろうし、人間個別の価値観を認めるなら、全てが正解とも言える。それが自由を担保する民主主義のひとつの具体的形質がグロテスクな姿を伴って現出したものと解釈してはどうだろうか。この映画が編集された1961年の段階では50年後に至るまで(もちろん500年後であってもよいだろうが)ナチスが行った人道犯罪が恐らくはほとんど同じ本質性を維持したまま繰り返しこの同じ世界の中で行われていることを想像し得たで
あろうか。たぶん、歴史という名の過去に固定することで、何がしかの答えを得た、という評価を下していたと思う。しかし、図らずも、人間の本質に根ざす残虐性の現れ方のひとつの典型例をまとめた資料として見るならばそこに一定の普遍的価値は認められてもよいのだろう。

帰宅後、「縮図」「太陽はひとりぼっち」を観る。



6時起床。週明けに健診で飲まされたバリウムのせいで(と思いこんでる)腸の調子が思わしくない。

7時半に家を出る。浮き球第4戦。田端57分発、南浦和経由で8時40分吉川駅着。

公園に着いた時点では曇り加でぬか喜びしかかったが、程なく太陽が出張り、やはり終日灼熱地獄と化した。今回は前回に比して参加人数が多かったため、かえって緊張感を失いがちとなった。酔いのせいか年齢のせいか、正面のボテゴロへの反応ができず。鍛えねば。何を?

暑さのため時短措置が取られ15時過ぎに日程を終え駅前のとり源に場所を移す。サクッと終え帰宅の途へ。帰りの電車でも爆睡、明らかに疲れが溜まっているのだろう。