今日、12/14は母の60回目のバースデーです。
父が亡くなってからたった一人で私と弟を育ててくれた母。

たくさん反抗して、誰より笑顔にしたいのに悲しませるばかりでますます反抗した最愛の母。

母は兵庫県で生まれ、短大を卒業後に保険会社に勤め、学生時代から付き合っていた大阪府出身の父と結婚しました。
流産を経験し、絶対安静の緊迫した状態の中私を産み、弟が生まれたと同時に父の海外転勤が決まります。
赴任先は香港とシンガポール。
そして3年弱の海外赴任を経て、日本に帰国。
東京都に移り住みます。
その後埼玉県に移り、私のワガママを聞いてくれ、中学受験に協力してくれるようになります。
毎日の、塾への送り迎え。そしてお弁当作り。
母にとっては予想だにしなかったことでしょう。
母はいつも「お母さんは高校も公立しか受けさせてもらえなくて…女だから短大も行かせてもらえないと思ってた。ぷく子は勉強できていいね」
そんな風に言っていました。
そして私が中学二年生のとき、父が亡くなります。
突然のことに涙も流せず、気丈に振る舞うしかなかった母。
誰にも弱音を吐けずに一人で悲しみと不安と悔しさと孤独を抱え、それでも強く耐えて耐えて私たちを育ててくれました。
そんな母のお陰で私も弟も何一つ不自由なく毎日を送ることができました。

私が鬱病で苦しんだ時は、私のいないところで何冊も何冊も本を読み、どうすればいいかを考えてくれました。
にも関わらず、言うこときかない心と身体に苛立った私は、母に八つ当たりをし、困らせ、反抗して傷つけました。
そんなときに母が繰り返し伝えてくれたのは
「お願いだから、もっと自分を大切にして。自分が自分を幸せにしないで、だれがぷく子のことを幸せにするのよ!」という言葉でした。

わたしの繰り返す自殺未遂に、「何でこんなことに…」と思ったはずです。
この子を産んだときこんなことになるだなんて思ったいなかった。
なんで…なんで…どうして…
そんな風に考えて眠れない日も多々あったと思います。
それでも母はわたしのことを見捨てずにいてくれました。

母の父親(私の祖父)は14年前に亡くなり、母の母親(私の祖母)も昨年闘病の末亡くなりました。
孤独と喪失感、そして後悔の念でいっぱいだ、母は今でも時折そんなことを口にします。

母は今年、猛勉強の末に介護福祉士の資格を取り、今も現役で働いています。

私は昨年、会津若松に嫁ぎました。
弟も結婚し、別に部屋を借り、来年は関西への転勤が決まっています。


そんな私たちの母への還暦のプレゼントは
私たち夫婦と弟夫婦で行くディズニーランド&シーの旅行です。

母がうまれてきたことを盛大に祝い、感謝の気持ちを伝えて
「生まれてきて、この子達を産んでよかった」
そう思える旅行にしたいと思います。

明日から一泊二日でいってきます。