川魚水槽の水換えを行いました。
毎回エビちゃんを吸い込まないか心配です(汗)
季節の移り変わりとともに水温も下がってきました。
水温が下がると魚の行動様式が変わってくるので
エサをあげる量
水換えのタイミング
などが変わってくるらしいのです。
私も現在絶賛お勉強中です。
うらみわびの「この本がおもしろい!」第13回。
勝手に評価表 |
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ストーリー |
☆☆☆ |
アクション |
☆☆☆☆ |
感動 |
☆☆☆ |
【目次】
・第一章
・
・
・
・第十一章
・短い小説のための長いあとがき
花火を横から見たことはないなぁ
どんな話?
及川なずなは島田典道が小学5年生の時に転校してきた。彼女はどこか大人びていて近寄りがたいオーラが出ていた。彼女とは特に接点のない典道。小学6年生になった時にはもうこのまま卒業をするものだと思っていた。
そんな夏のある日、
家に帰った典道は自宅にいた一人の少女の姿に驚く。
いるはずのない、なずなの姿。
「なずなちゃん今晩、ウチに泊まるからよろしくね。」
それは突然だった。
そして少年の心にはこれまで感じたことのない緊張に包まれていた。
この感情は何なのか。
彼はまだ分からないでいた。
夏を駆ける青春恋愛ストーリー。
ここに注目!
本作はかのアニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の原作にあたる小説になります。実は本作は2017年に完成した作品であり、その意味では筆者であり映画監督の岩井さんの構想の終着点ともいえる作品です。実はこのタイトルにも秘話があったようで・・・。そんなことが本書の「あとがき」に記されていますので、映画を見てから本書を手に取るのもありだと思います。
主人公たちの年齢など細かい点はアニメ映画版とはことなりますが、本作の方が作者の想いが強くでているように感じました。というのも、映画では撮影人やディレクターなどの企画立案者がいるため、作品の根幹が当初のものから塗り替えられることもあると思うんです。そのことについても「あとがき」で筆者は語っています。彼の中でもこの物語をどのように終わらせるのか、についてはいろいろ思い悩んだのが伺えます。
だからこそ、本作の第一弾がテレビでスタートしたときから20数年後に再び小説という形でこの物語を世に送り出したのでしょう。
ただ、僕自身は存分に楽しみながらこれを書いた。不思議なことに、書いている間、二十四年という歳月をまるで感じなかった。この物語の世界が活き活きと自分の中にあった。それは子ども時代に遊んだ懐かしい川が、今も変わらず豊かに流れるさまを見るかのようであった。
本書「短い小説のための長いあとがき」より
もう一つ、この作品が何度か生まれ変わっていることについてこのように語っている。
まるでその題材自身が自分の生れ出づる時期を予め知っていたかのようである。
本書の面白いところは、作品の全体は典道の視点で描かれているのであるが、彼のこの夏の生活における関心事はなずなのことに絞られている、ということ。彼の思考は完全に彼女にジャックされている状態なのだ。
一方、なずなの方は一見強権的で意地っ張りなところがあるけれど、それも彼女の生い立ちが主たる原因であることを考えると、かわいそうになってくる。問題は彼女の家庭環境にある。彼女は大人の世界に翻弄された被害者なのである。
本書自体は少年の回顧録のようなものであるが、それだけに方向性が定まっていない。本人はおろか、かの なずなでさえ自分がどこに向かいたいのか分からないのである。本書にはそんな不安感が漂っている。終着駅があるという安心感で小説を読んでいると、この小説には一種の違和感を抱くかもしれない。でも、この違和感こそが人生であり、青春の一ページなのかもしれない。
終着駅のない旅路。これこそが人生。「楽しい」と分かっている人生ならこんなに苦悩を重ねる必要はないのかもしれない。
自分ではどうしようもないという無力感。些細なことで変化してしまう周りの人との距離感。そのような不確実性の中で私たちは生きている。
一方で、人生というのは選択の連続である。余談であるが、私たちは1時間におよそ2000個の情報を感知しているらしい。そのなかで私たちが認知できる情報は8~16個なのだとか。仮に私たちが一つ一つの情報に対して何かしらの判断を下し、行動に移しているのだとしたら、それだけでも私たちは人生においてかなりの選択をしているといえる。
でも、その選択は自信をもってなされたものなの?
ちょっと自信が持てない。
「自分」が何なのか分からない。
周りに流されちゃってるだけ?
いろいろな疑問符が私たちの中に浮かび上がる、という人も多いと思う。
そう、私たちはそんなに自信をもってことに望んでいるわけでもなく、深く考えないで行動していることもあるのだ。
そして、それでも世界は回っている。
自分のなかの「最適解」を探して行動しなくても世界は回っている、ということに気づかされる。
だから、それほど深く考え込まなくてもいいんじゃないかな。
流される生き方もしてもいいんじゃないかな。
学校では常に100点を目指して80点以上を取る生活を心掛けていた私だけど、
世の中には30点や40点でも幸せがあるような気がする。
それは誰かが決めたことではない。自分が感じることである。
だから思いっきり生きてみよう、と思う。
この小説の世界の少年たちを見ているとそう思わされるのである。
映画『打ち上げ花火、下から見るか?、横から見るか?』を見てから本作を読みました。ストーリーの下地は共通している部分が多いですが、ところどころの設定や展開が映画とは異なっているのでこれはこれでおもしろく読めました。
小説ということで、作者の意図が文字になって伝わってくるんですよね。そこが小説版のいいところ。本作は典道の目を通してね。
「あとがき」も興味深く読みました。本作がどのようにして生み出されたのか、について一人の人間 岩井俊二の人生から紐解いていく、というドキュメンタリーの形式。岩井さんにとって本作がどれだけ愛着のある作品であるか、それは「あとがき」を読むと、本書のタイトルを見れば解る気がします。
ここからはネタバレを含みます。
なずなの今後
結局なずなは最後まで自分で幸せをみつけることができなかった、と思わせるような幕切れだった。
「もし誘ったら、裏切らないで来てくれた?」
なずなは別に誰と花火を見てもよかった。そこに意味を見いだせずにいた。きっとそれは、今まで親の都合に翻弄されてきて、「ああしなさい」、「こうしなさい」という親の指示で生きてきたんじゃないかな。だから、彼女は一人でいるときやクラスメイトといるときも自分を出すことができない。距離感が分からない。接し方が分からない。どうしてもつっけんどんになっちゃう。
そんな心の闇が行き着くところは自分の幸せ像の喪失である。
「願い事言ったら、叶うかなと思ったけど、もったいないから使わなかったよ」
この言葉は二通りにとれる。一つ目は彼女が典道とずっといたい、という願い事をあえていわなかったということ。二つ目は願い事自体それが一番の願い事なのか分からなかったから使わなかった、ということ。
私は二つ目の方な気がする。できれば一つ目であってほしかった。そうしたら彼女はまだ希望をもって生きていけたのではないか。
この物語はなずなの成長ストーリーともとれる。その面においてはこの小説の終わり方は彼女の今後の人生に影を落とすようにして終わっている。本作のストーリーが彼女にとってひと夏の想い出となるのか、人生の重荷となるのか、それはひとえにこれからの彼女の生き方による。
セーラームーン和弘
アニメ大好き和弘君。彼のキャラ、私好きだなぁ。それにしてもセーラームーンが好きっていうのが。本作の着想の時点では時代の最先端。これを2010年代の話とみるならば、彼はかなりのオタクになるのかもしれない。そんな時代の綾がおもしろかった。本作を読んでいると頭の中で和弘くんがあのメガネの優等生君に変換される(笑)
グーグル・ストリートビューを用いて飯岡の灯台前からの眺望。
確かにここから見れば花火もよく見えそう。
でもここまで徒歩で登るのは大変だよね。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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今日の一曲♪
『distant moon』(2003)
(歌:fripSide 作詞:八木沼悟志 作曲:八木沼悟志)
fripSideの代表曲ともいえる曲。
どこか切なくて・・・
ラストを長くとっているのが余韻があっていい。
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