作曲家でありピアニストの蒲池愛さんが5月30日に亡くなりました。

蒲池さんは"Angel Beats"のオープニング曲"My Soul Your Beats"などの作曲に携わりました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 どうやらバイオハザードの新作が出るようですね。 "Biohazard Village" 。うまくVIIをいれましたね(笑) ただ、個人的にはアウトブレイクファイルシリーズをリメイクしてほしいです。あれは今でも遊べると思います!

 

 

うらみわびの「このアニメがおもしろい!」第6回。今回は"Angel Beats"を見ます。

 

 

 

 

開始2秒で鳥肌!!

「生」と「死」を問うアニメ

 

 

勝手に評価表

ストーリー

☆☆☆☆☆

アクション

☆☆☆☆

感動

☆☆☆☆☆

 

 あらすじ

 音無(おとなし)結弦が目を覚ますと、そこは見たことのない学校の敷地だった。彼はそこで中村ゆり(ゆりっぺ)にそこが死後の世界であることを告げられる。彼女たちは日々、天使と呼ばれる存在と戦っているという。音無はゆりから「死んでたまるか戦線(仮称)」に入団するように頼まれる。なにがなんだか分からない音無はその天使と呼ばれる存在に話を聞きに行くが・・・。

 

 

 すべてが1級品

 私はこのアニメよりも先に楽曲を知りました。もともとこの作中で登場するガールズバンド "Grils Dead Monster" (通称:ガルデモ)が好きで聴いていて。他にも本作オープニング曲の "My Soul Your Beats" は大学生の頃、ロンドンに研究旅行に行ったときに宿舎で狂ったように聴いたことを思い出します(笑)。

 後にこれらの楽曲が一つのアニメに集約されていることを知り、見てみたら・・・ ストーリーも楽曲も絵もすべていい!今回は前回の内容をおさらいしつつ2周目となります。

 このアニメには笑いも涙もすべてが詰まっています。それでいてテーマが哲学的。簡単には読み解けないテーマなので、視聴後に他の人たちと感想を言い合うのも楽しいですね。

 

 アニメと楽曲がパックで売り出されるようになって久しいですが、このアニメほど楽曲の歌詞と本編のストーリーの親和性が高いアニメはなかなかないです。まさしくアニメのための曲。曲のためのアニメといえます!

 ガルデモの歌詞は、それ自体はありふれているといえばそうですが、歌っているキャラクターたちの人生がそのまま乗っかっているので、アニメを見た後だとその深みが数段増します。特にAlchemyなんかは涙で震えます

 

 オープニングやエンディングが凝っていて、毎話少しずつ違うんですよね。さらに第10話と第11話は他の話より2分ほど長いという熱の入れよう。残念ながらリアルタイムで見ていない私ですが、おそらくこの2話はCMが入っていないのではないでしょうか。

 

 アニメ界では有名な作品だと思いますが、まだ見ていない人は視聴の価値ありです!

 

 

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=======ここからはネタバレを含みます。読み進め際はご注意ください。===================

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作品を見終えて

 感動を通り越して震えた。第10話の「俺が結婚してやんよ」や第11話のゆりの最終決戦。最終話の卒業のシーンなど。

 ただ、最後に音無がかえでに告白するシーンは度肝を抜かれた。見たところ伏線がなかった。愛を告白する音無と感謝を伝えるかえで。両者がこの世界で最後の役目を果たして終わる演出は悲しくも美しい最期であった。これは芸術だ

 

 

 

 生まれ変わった音無

 生前の音無は自分の人生は「生きる価値がない」と思っていた。そんな音無を生まれ変わらせたのが、妹の存在である。彼女は重い病気を抱えており、病院内での生活を続けていた。傍から見たら健常者よりも不幸な人生。しかし彼女はそんなそぶりを見せない。(少なくとも音無の前では) 彼女は音無が買ってきたマンガを読むのが何よりの楽しみであった。楽しそうにマンガを読む妹の姿には生きる希望が輝いていた。

 一方の音無は体は健康だが、生きる希望を見失っていた。彼女は妹に寄り添うことを生きる目的として、生きながらえていた。妹を亡くしたとき、彼は生きる意味を再考させられることになる。

 彼が出した結論は他者の為に生きること。そのために自分は努力を続けて生きていく、ということであった。医者になる夢もはかなく潰えてしまったが、最期の最期で彼は自らの臓器を他者に提供することで、自らの生きる意味を生前の世界に遺したのだ。

 

 そんな音無であったが、彼が直井と対決する場面では自らのものとは少し異なった考え方を示した。それは他者の人生ではなく、自分の人生を生きる、というものだ。他者の代わりに生きても自らが生きる手ごたえを感じない人生は不幸な人生である、ということがこのメッセージの肝である。結局のところ、他者の為に生きたとしても、自分が幸せに感じないのであれば、それは決して良い生き方とはいえない。

 私はこの考え方に大いに同意する。人は結局のところ、自分が幸せでなければ、生きる希望が持てず、結果的に他者を幸せにすることもできない。

 そして、時間軸も大切である。未来の自分の為に今の自分を追い込んではいけない。無論、努力は実を結ぶが、それは適度に自らを追い込んだ結果である。時として、極限まで自らを追い込んで成功を収めるアスリートタイプの人がいるが、それが我々皆が目指すべき姿ではないように私は感じる。それどころか、このようなアスリートタイプの人は一つの成功の為に他の多くを犠牲としているのではないだろうか。いずれにせよ、不幸の上の幸福は非常に脆い

 したがって、私たちは「今」もある程度幸せであるべきである。未来を追い求め過ぎず、過去にも引っ張られ過ぎず、今、自分が幸せを感じることをしていく、それが私たちに生きる希望を与え、ひいては人生のクオリティを上げることになる、と私は考える。

 では、何をもって私たちの幸せとなるか、それは非常に重要なテーマだが、ここでは深入りしないこととする。答えは決して一つにならない。最終的には各々で見つけることとなる。大切なのは人に流されないことだ。

 

 

 

 ありふれた日常を求めた天使

 作品内ではみんなの天使(だと思っている) の立華かなで、であるが、彼女は生前は心臓が弱く、人生のほとんどを病院で過ごした。彼女は音無の心臓を移植することで、学校に通うことができたが、卒業を前に命が尽きた。

 彼女が求めたのはありふれた日常である。現代の日本において健常者のほとんどが、学校を卒業していく。かなではそんな「普通」を経験することなく人生を終えたのである。

 授業に出席して、友人と話をして、部活をして、卒業していく、そんな学生にとってのありふれた日常を彼女は追い求めていた。その強い思いが彼女を死後の世界に迷いこませたのである。

 健常者にとっての普通はかなでにとっての特別であった。彼女はそんな特別をこの世界で体験していたのである。しかし彼女の特別はその他大勢の特別と対立してしまう。作中ではゆり達が、日常を満喫する天使に迎合することで天国に召されてしまう、という考えの下、かなでに対抗していた。死後の世界がなぜ存在するのか、それが解らない状態では無理のないことであろう。

 

 

 非日常を追い求めたユイ

 そんなかなでと対照的なのはユイである。かなでが天使ならこちらは小悪魔である。ユイは事故で足を動かすことができなくなり、周りの健常者のような生活を送ることが困難になった。かなでと似た境遇であるが、ユイは死後の世界でも非日常を追い求めた。それは彼女の奇抜な性格がなせるものなのだろう。生前はどれだけ抑圧されたなかで生きてきたことだろう。自らよりも母親のことを気にかけていたのだから。来世では思う存分、自らの人生を楽しんで欲しい。

 

 

 無神論者ゆりっぺ

 死後の世界に飛ばされてきた人たちの中で、ゆりの存在は際立っている。彼女は生前に不自由があったわけではない。彼女は生前の人生に不合理さを感じているのだ。

 ゆりは4人きょうだいの長女。ある日、両親の不在時に家に強盗が押し入り、金品の為に無惨にもゆりの目の前できょうだいを殺された。彼女は自分だけ生き残った後悔の念と幼い無実の命が突如として奪われる事実に憤りを感じている。

 

 ゆりは無神論者である。「この世に神はいない」と考えている。彼女の胸の内を代弁するとこうなるだろう。

 

 この世の中には善い人間も悪い人間もいる。

悪い人間は自滅すればいい。

しかし、世の中にはこのような悪い人間によって突然命を奪われる子供たちがいる。

彼らにいったい何の罪があるというのだろうか。

もし、全知全能の神がいて、この世界が平等に創られているとするならば、

なぜ、純粋無垢な命が奪われなければならないのか。

この世の中が皆、平等である、なんていうのは嘘だ。

神がいるのならば、こんな惨い仕打ちはしないはずだ。

この世に神など存在しない。

 

 無神論者というと私の中で思い当たるのが、ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』の次男、イワンである。以下にイワンがキリスト教僧侶である弟アリョーシャに対して述べたことを引いてみる。

 

 

「人間の多くの者は一種特殊な素質をそなえているものなんだ - それは幼児虐待の趣向だよ、しかも相手は幼児に限るんだ。ほかのあらゆる人間に対しては、同じじこの迫害者がいかにも教養豊かで人道的なヨーロッパ人らしい態度を示すのだが、子供を痛めつけるのが大好きで、その意味では子供そのものを愛しているとさえ言えるわけだ。この場合、まさに子供たちのかよわさが迫害者たちの心をそそりたてるのさ。」

(略)

「いったい何のために、これほどの値を払ってまで、そんな下らない善悪を知らなにゃならないんだ。だいたい、認識の世界を全部ひっくるめたって、《神さま》に流したこの子供の涙ほどの値打ちなんぞありゃしないんだからな。俺は大人の苦しみに関しては言わんよ。大人は知恵の実を食べてしまったんだから、大人なんぞ知っちゃいない。みんな悪魔にでもさらわれりゃいいさ、しかし、この子供たちはどうなんだ。」

 

原卓也 訳 新潮文庫『カラマーゾフの兄弟(上)』 p.p607~609

 

 

 ゆりっぺの気持ちは痛いほどよく分かる。この世の中には理不尽なほど早くこの世を去る命がある。心ないようであるが、私たちはこの現状を受け入れなければならないように思う。私たちに平等にあるのは、いつ死ぬか分からないリスクである。私たちはこれを受け入れたうえでより良い人生を歩んでいくしかないように思われる。

 

 だからといって、ゆりは初めから神がいない、と考えているわけではない。さきほどのイワンもそうであるが、彼女は神の存在を信じていたからこそ現実の不条理さに落胆したのである。だからこそ、死後の世界で自らが神になれる、と悟ったときはどんな思いが胸をよぎったのだろうか。

 結果として彼女は現実の不条理さを受け入れた。そのときはじめて彼女はきょうだいへの罪の意識から解放されたのである。ここから得られる教訓は、私たちはどこかで、不条理を受け入れて、それを乗り越えていかなければならない、ということだろう。「自分のせいで」と思うこともある。一方で私たちは皆、自分の人生の主人公であり、自らの人生に責任をもっているのだ。後悔の念にはどこかで区切りをつけなければならない。これは決して過去のことを忘れることではない。それを胸に新たな一歩を踏み出すのである。

 

 

 愛のある世界

 死後の世界には「愛」は必要ない。これはゆりの出した結論である。彼女にとってはこの世界は「卒業するべき場所」だからだ。

 愛は永遠の楽園をつくる。私たちの幸福に必要なのは「愛」である、と言ったのはトルストイであったが、実際に愛がある人生こそが豊かな人生と呼べるだろう。

 それは、音無が最期に自らの命を他者の為に使って報われたように。これは決して自己犠牲の賛美ではない。あくまでも自分の幸せを第一に他者を幸せへと導くのである。

 他者を幸せにすることは、私たちの義務ではない。これはあくまでも自らの人生に余力のある人たちが行うことである。自分を愛せないものは他者を愛することはできない。誰かの為に生きてはいけない。直井がそうであったように。

 

 

 最後に

 このアニメにはサブカルの要素から人生の壮大なテーマまでもが詰まっている。私のなかでの傑作アニメのひとつに確実に入るだろう。人生のあらゆる節目に見直したい作品だ。

 人生は時として私たちに不条理を突き付ける。そんなときに私たちに生きる力をくれるのがこのアニメだと思う。最後に作中歌である『一番の宝物』の一片を載せて終わりにする。

 

きみがおしえてくれたんだ もう恐くはない

どんな不自由でも幸せは掴める だから

(略)

ひとりでもゆくよ 死にたくなっても

声が聞こえるよ 死んではいけないと

 

 

 

今日の1曲♪

"Shine Days" (歌:Girls Dead Monster 作詞:Jun Maeda 作曲:Jun Maeda)(2010)

ガルデモのなかでも私の好きな楽曲。前向きな気持ちになれます。

 

 

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