苦手意識があったブログの投稿。

 

私は人から批評されるのがとても怖く

なぜか「人に批判されないように」生きるのが前提になっているようで

ブログの記事に自分の考えを入れるのさえ

とても怖いと思っていました。今も思っています。

 

だけど。

 

実際はというと、

人に褒められるような生き方をしているわけでもなく。

親しい人や家族にも呆れられるようなわがままさも怠惰さも持ち合わせている。

人に批判されたとしても自分の思う行動を変えない時もある。

 

そんな自分が仮にブログを読んでくれた人の気に入らないとしたって

なんらおかしなことではないのです。

 

 

「自分は正しい、間違ったことはしてない」

そう胸を張って言えるような生き方をしていたとしても、

 

万人に認められることは不可能。

 

 

人の数だけ考えがあり、人の数だけ好き嫌いもある。

あっちを立ててもこっちが立たず。

 

 

それなのに怖がっていても仕方がないですね。

きっと今までの人生や過去生にも色々あったとは思いますが

今生きる上で不要なこの呪縛から解き放たれたい。

 

 

そんな事を考えていた私に、「光」のような言葉が届きました。

 

 

「万人に受け入れられなくても、

 たった一人の誰かにちゃんと、届けばいい。」

 

 

それが生きていて、言葉を発する意味だと改めて感じて

すごく嬉しくなりました。

伝えることは怖いことではないのだと思えたからです。

 

 

少しずつ気持ちの変化は出てきてはいたものの

なかなかきっかけが掴めず時間だけが過ぎていく中、

久々にブログを書くことができました。

 

 

今日お会いした加藤夏海さんのおかげです。

この場を借りて

ありがとうございます。

 

 

夏海さんは言葉を扱うプロフェッショナルです。

頭の回転が早く、いつも人の気持ちを考えて丁寧に話を拾い上げ、

的確な次の一手を差し出してくれます。すごいです。

 

今日は六甲のゆったりした一軒家カフェで夏海さんとお茶しながら

 夏海さんの思考はくるくる回転し進み。

 私はなんとなくぐるぐる考え停止する。

その違いについて考えていました。

 

思い至ったことは、

「言葉を使って表現する」ことでそこにエネルギーが宿る。

行き詰まるような言葉を使っていたらそのようなエネルギーが。

宙に広がるような言葉を使っていたらそのよううなエネルギーが。

ということでした。

 

行き場を見失って止まっていたエネルギーも言葉を利用することで動き出す。

 

ポジティブでいることを推奨しているわけではなく

言葉次第で良くも悪くも変化することが実際あることを

忘れずにいられたらいいなと思ったのでした。

 

ぐるぐるの止まらない思考を

軌道修正してくれた夏海さんとのお喋りに爽やかな希望を感じました。