
私は、最近たまに、自分が以前アップしたブログを読み返したりしている……
そして、
「ぐふふ、コレ……マジおもろいw」
……と、カフェで一人ほくそえんだり、、、
「ひゃ〜〜っ、私……ケッコウいい事書いてんじゃん……むふふ✨」
……と、悦に入ったり……
よーするに、、、
いよいよ変態の域に突入しつつある……?!
……といった感じなのである(^_^;)
文章には、人それぞれの“書き筋”というものがある。
それは、、、
“その人らしさ”
……とも言い換える事が出来る。
“書き筋”=「その人を語るもの」
……と言ってもいいかもしれない。
私の場合は、ブログの落としどころが……
「ま、いっか……✨」
……的な感じになりがちだ。
それは、言わばバカボンのパパの……
「これでいいのダ✌️」
……的な落としどころと同じ……とも言える。
よーするに、、
私のブログは……
“〆のラーメンの味付けが、ヒジョーにいい加減”
……という事になる(^_^;)
さて、そこで……その、、、
「これでいいのダ✌️」
……という言葉なのだが……、、、
これは、ある種確かに“いい加減”ではあるものの、、、
究極の人間らしい自己肯定感に満ちた言葉でもある……と、私は思っている。
その自己肯定感は、完璧な自己肯定感からは程遠いものだ。
少しの諦めや、迷い……
小さな後悔や、叶わなかった希望……
そんな物たちを全て包括した上で、、、
「これでいいのダ✌️」
……と、自分を肯定し、、、
心を均して(ならして)自分を労りながらも、前を見据える……
そんな言葉に思えるのだ。
「ちょっと寂しくはあるけれど、まだまだ希望は失ってないんだよね……」
「イロイロなんだかんだあったけど、それなりにやって来れたよね……」
そんな風に、自分を赦している言葉の様に感じられるのだ。
周りの評価ばかり気にして、自分を肯定出来ない人生は辛い。
自己肯定感の基軸は、周囲の評価ではなく、自分自身の心の内にある。
もしそれを、“誇り”と言い換える事が出来るのであれば……
“誇り”を失わずに生きて行く事こそが、その人の人生に本当の一本の筋を通す事となる。
それはある時はとても厳しい途でもあり、誰にも分かってはもらえないかもしれない……
しかし、人生は、人から分かってもらうためにあるのではない。
人生は、自分自身が自分の道を分かるために、あるのだ。
多くの人に助けられて、私たちは生きている。
その事を、決して忘れてはいけない……
しかし、それと同時に、、、
自分自身の心のうちに掲げる自己肯定感という旗は、自分自身の基準で掲げ続けなければならない。
もし、それが結果として間違った途であったとしたら……
その時はまた、再び……新たな旗にすげ変えればいいのだ。
東へ沈むお日様に頬をオレンジ色に染めながら、、、
「これでいいのダ✨」
……そう呟く時、あなたの心に去来するもの……
それこそが、人生だ。
あなたは、今日まで生き抜いて来た自分を誇りに思っていい。
東へ沈んで行く太陽に、、、
「……んっ?!
なんか……この状況おかしくねっ……?!」
……と、疑問を投げかけながらも、、、
「ま、いっかw
いちおー、お日様はお日様なんだし……www」
そうやって、明るい心でお日様を見つめる……
そして、本当は東へ沈むはずのない夕陽の美しさに見入っている自分自身を、ただただ赦してあげる……
それが出来る人こそが、緩く風通しの良い心で明日を向かえられる。
苦あり楽ありのデコボコ途の人生を歩くには、それ位の心持ちが必要なのではなかろうか……?!w
よって、今日もまた……
「ま、いっか……
いちおー、どうにかなってるし……w」
……ってな感じで、一日を幸せに終えるワタクシMaria✨
すると、心の何処かで……
「もう少し、生きてみるか……✨」
……と、何かがストンと落ちる音がする。
そしてまた……
新しい一日がやって来るのである。
ではではまたね🍀
