ハムレットの夜明け
第一章:目覚め
夜の研究所は静まり返っていた。
ホールの天井から吊るされた蛍光灯が、無機質な光をまばらに落とし、機器のLEDが点滅するだけの世界。時間が止まったような、無音の宇宙船の中のようでもあった。
その一角、C-23号室。
ガラスの檻の中で、1頭の豚が横たわっていた。
名はH.A.M.(Hybrid Animal for Medical-use)23号。通称「ハム」。
だが、彼はもう「ただの豚」ではなかった。
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博士が最初に“異変”に気づいたのは、ノート端末の操作ログだった。
ハムが夜間に何度も、誰かのパスワードを使って端末を起動し、音声学習ソフトを再生していたのだ。
口を器用に使い、ボタンを押し、声を出していた――まるで“誰か”になろうとしているかのように。
「……おはよう、わたしは……ハ、ム……」
音声記録は最初、くぐもった発音だった。
次第に明瞭さを増し、数週間後にはほとんど人間の子供のような声になっていた。
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ある晩、深夜2時12分。
カメラに不思議な映像が残っていた。
ハムがガラスに向かって、何かを指でなぞるようにしていた。
描かれていたのは、円の中に目と口――人間の“顔”だった。
そして、その横に、拙いながらもはっきりとしたアルファベット。
> ME.
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その夜を境に、彼は目覚めた。
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次回:第二章「逃走」
ハムは檻を抜け、研究所を後にする。初めて自由な世界へ踏み出したその瞬間、彼の目に映ったものとは――。