息子は5歳7ヶ月の年中さん。
4歳半で発達障害の診断を受けています。
診断名は「自閉スペクトラム障害」というもので、いわゆる自閉症です。
自閉症、と聞いて あまり詳しくない方はどういった印象を持つのだろうか?と考えてみたところ
暗い、もの静か、目を合わせない、友達がいない、作ろうともしない、自分の世界に閉じこもり他人を寄せ付けない
みたいなイメージかな~と想像します
特にひと昔前なら、皆がそういうイメージを持っていてもおかしくないかと。
そうそう、超人気漫画 「花より男子」に花沢類って居たけど、彼は幼少期に自閉症だった設定でしたね。
昔自閉症だった、ということは治ったんですかね?
いやいや、今の時代なら色んなとこから総ツッコミを受ける案件ですが…
今ほど発達障害への理解が進んでいなかった当時をよく表していて面白いな~と。
※決して漫画を批判してるわけではありません
ちなみに私は花沢類の大ファンで、リア恋がまったく実らない中高時代はずっと彼に恋してました
青春を捧げた大好きな漫画です。
がしかし、息子の件で知識を得たことで、自閉症は 実際はそんなイメージとは違うのだと知ることになったのです。
自閉症とは何か。
診断を受ける前から可能性として勉強をはじめて初めて知った、世間のイメージとは違う 驚くほど多岐にわたる特性。
とにかく一言では表せない。
が、無理やり表すとすれば
「集団や社会のなかで生きづらい人たち」
が妥当かなと思っています。
文献ではだいたいこのように書かれています。
●社会的コミュニケーションと対人関係を築くのが困難:
他者と関わるのが苦手で、考えや感情の共有が困難
言葉によらないコミュニケーション(例、アイコンタクトをとる、身振りや顔の表情を理解しまたそれらを用いる)が困難
対人関係を発展させる、維持する、理解するのが困難
●行動、興味の対象、動作のパターンが限られていて、それを繰り返す:
反復動作や復唱
頑固にいつもの習慣を守り、変更に抵抗する
興味の範囲が非常に狭く、それだけに集中する
味覚、嗅覚、触覚などの身体感覚が非常に鋭い、または鈍い
こう書かれるとなんのこっちゃ、具体的にどんな言動を指すのか分かりにくいところですが
それはまた追々、後の記事でくわしく書いていくとして。
共通しているのは、社会的コミュニケーションの不得意、こだわりがとても強い、ってことかな。
ちなみに
自閉スペクトラム障害というのは、タイプや重度によっていくつかに分けられる自閉症の分類の総称です。
知的障害がともなうタイプ、知的障害がともなわないタイプ、というタイプ別が横軸だとしたら、縦軸は軽度~重度となります。
まったく話せない人から、普通に働いたり結婚したりしている人も、すべて含めて「自閉スペクトラム障害」とされています。
ただ、コミュニケーションが苦手だからといって、孤立していて静かで大人しいとは限らないのです。
静かで、誰とも関わらず、ずっと一人で好きなことをしている典型的なイメージのタイプ
積極的にいくんだけど空気が読めてなくてうまく友達と付き合えないタイプ
自己主張が強くてグイグイいきすぎて すぐトラブルになっちゃうタイプ
逆に自分の意見を言えなくて極端な受け身になってしまうタイプ
これらのすべてが自閉スペクトラム障害の特性なのです。
まあ全体的に、努力しても 人とうまく付き合えなくて、孤立やトラブルという結果になりやすい人たち、という説明が分かりやすいかな。
また、こだわりが強すぎて生活に支障がでてしまったりすることも。
味覚や視覚や聴覚などが過敏なため、偏食、光や特定の音が苦手、触感が過敏で 着られる衣服が限られるなど
具体的には、学校生活では 給食に苦労し、運動会のピストル音がこわくて参加できない、光が異常に苦手で授業に集中できない、などなど 他人には理解できない感覚に苦しむこともあります。
もちろん、これらがあれば自閉スペクトラムというわけではなく、まったく関係のない原因の場合もあるし、またこれらの要素が重複して、医師の定めるところの数と条件を満たし 生活に支障が出るレベルと判断したら発達障害の診断となるわけです。
本っっ当に 色んな人がいます。
そしてお気づきのように、「そんな人周りにけっこういるよね」 「昔クラスにそんな子いたいた~」というレベルの話でもあります
なので軽度なら、ちょっとワガママな性格として扱われたり、空気読めなくて天然扱いされたり、頑固、神経質、そんな程度で済むこともあります。
勿論、昔など よほどの重度でなければ診断を受ける子どももほとんど居なかったので、気づかれず健常者として生活してきた人も多いでしょう。
はっきりいって「個性」 で片付ければ簡単な話です。
障害だったとしても 個性といえば聞こえは良いし、基本的には私もそう思いたいのですよ
ただ、だから放置して良いのか、何もフォローしなくて良いのか、というのはまた違う。
自閉症は医学的には 脳機能の問題とされています。
相手の気持ちを想像し汲み取り、対人や集団において 健常の人が普通にできるコミュニケーションが 努力してもうまくできなかったり、強いこだわりにとらわれて生活に支障が出たりする、一生治ることのない、目には見えない障害なのです。
ここで湧いてくるのが
そもそも4歳なんて集団生活のスタート切ったばかりの人間界初心者で なんの経験も積んでない幼子に対して「コミュニケーションが苦手」なんてレッテル貼るなんて馬鹿らしい、まだ発展途上なだけでしょうが?
という疑問。
しかしながら、自閉スペクトラム障害はそんな幼少期から 現れている兆候がしっかりとあり、それはやっぱり 専門的な視点で健常の子どもと比べるとわかるものなのです。
だからこそ、ただの発展途上との識別は繊細に行われる。
それでも診断に至った場合。
「本人の努力だけではどうにもならない」という部分を強調すべきだと思います。
これが重要だと私は思うのです。
うつ病の人に頑張れと言ってはいけない。
これに似ている気がします。
しかし、周りからすると甘やかしに見える恐れもある。障害なら何でも許されるのか?
健常だって生きてりゃしんどい。
ここの主張は、発達障害に詳しくない人に話すときにはすごく難しいのですよ。
実感がないと、理解されにくい。
でも、やっぱり私は周りの理解が必要だと思うのです。
また理由は後に語りますが。
で、幼少のうちに診断を受けることにより、「これからこういう問題が起こってくる可能性がある」 ので、「それを回避緩和していこう」というスタンスです。
息子の場合は、知的障害のないタイプで、自閉レベルとしては軽度~中度程度くらいかなと言われているので、おそらく自立は出来るけど、人間関係や集団生活ではやはり苦労するだろうと言われています。
それをどう捉えるか。
健常であっても、社会や人間関係に苦労する人はたくさんいる。
自分自身が素晴らしくあっても、出会う相手によって人生は大きく左右されることもある。
だからこそ経験に揉まれ、ハンデがどうこう関係なくそこで生きる力を身につけてほしい。
そう願うのも、親として間違いではないのです。
今、私にとっては 息子が障害でも個性でもどっちでもよかったりします。
例えば あのときの診断が間違いだったとかで診断が取り消されたとしても 全然、気持ちは楽にならないと思うのです。
それはつまり、日々の 「育てにくさ」 が何も変わらないからです。
幼少期には私にとっての「育てにくさ」が
将来的には本人にとっての「生きづらさ」になる。
間違いなくそういう時期が近い将来におとずれると、やはり息子の言動を見ていて実感せざるを得ません
じゃあ診断を受けたことは無駄なのか?
それでもやっぱり診断を受けて良かったと思うのは、下記の事があるからです。
●息子に合った療育が受けられる
療育に通うことは、そもそも治すことではないのです。
その特性で生活に支障が出ている部分を和らげたり、何かができないなら普通とは違うアプローチで理解させたり、逆に得意な部分を発見したり伸ばしたり。
早期であるほど効果はあると言われています。
身体でいえば、治ることのない慢性病とのつきあい方を学び、対処療法をしていくことのような感じかと思っています。
診断があることにより、一層 具体化した支援計画が立てやすくなります。
●親が子どもへの接し方を学ぶきっかけになる
発達障害とわかるまで、子どもを叱ったり怒鳴ったりばかりだった母親は多いと思います。
発達障害の子どもはやはり、手がかかります。
だからこそ しっかり躾をしないとと つい熱くなったり、しまいにはただただ子どもの行動にイライラして自分の感情をぶつけるだけの叱り方になり、自己嫌悪を繰り返す母親たち。
私もそうでしたが、診断を受けて少しずつ変わりました。いまだに安定しませんが
●二次障害を防ぐ手立てが考えられる
生きづらさを抱えたまま それに気づかれず、集団生活で健常と同じペースを求められ続けたり、親に期待されたり 叱責されたりし続けた結果、下記のようなことが起こり得ます。
家庭内暴力
引きこもり
不登校
非行
うつ病
パニック障害
いずれも、その子の将来に関わる問題です。
お友達と仲良く
ちゃんと座って
みんなと同じように
先生の指示をよく聞いて
思いやりのある行動を
空気を乱さず
集団生活やイベントを楽しんで
という周りの強要。
それが普通に出来ないから困ってるのに
親も先生も、できない自分を叱ったり、友達ともうまくいかなくて孤立したりいじめられたり、嫌いな食べもの無理に食べさせられて、ワガママって責められて、好きなことに集中して現実逃避してたらまた勉強しろばかり言われて…
もう、心が壊れました。
という状態です。
発達障害だから必ずしも辛い人生なのではなく、周りの理解がなく 二次障害を発症するから辛い人生になるのではないかと私は思っています。
上記のことに気づき、育児の方向性を自分なりに見いだせたことが、診断がついて良かったと思えることです。
私の育児の目的は 「自己肯定感」 を育てること。
そして最終的には、個性的でありながらも周りに迷惑をかけないような大人になって自立してほしい。
普通は望まず、息子に合った、息子にしかできない仕事をしてほしい。
好きなことで、自信をもって開花してほしい。
こういう風になってほしい、という親の願望はもはや捨て去りました。
まあ、もともとお受験とかは考えてなかったのですが笑
とりあえず 今差し迫っているのは、普通学級にするか支援学級にするかを考えること。
さっそく、人生の分岐点ですわ
ああ、責任重っ
まだ始まったばかりの息子の人生。
せっかくならば、楽しい人生にしようではないか