またまた
リブログの世界です。
自分勝手な
同調や理解かも知れませんが…
タフネススターさんの
リブログをいたしました。
タフネススターさん
ありがとうございます。
ココから⬇︎
『終を慎み遠きを追えば』
【訳】曾先生が言われた。
「親の葬儀を丁重にして真心から喪に服し、そして先祖の祭を手厚くすれば、民の人情風俗は自ら厚くなるものだ」
曾子が言った、上に立つ人が人生の終わりである死を疎かにせず、親の葬儀や喪に際しては、礼儀を尽くし、またお正月やお盆など、先祖の祭りを手厚くして人情の真を尽くせば、人民もそれに感化されて自然と人情風俗が厚くなっていくものだ。
ココまで⬆︎
ブログの中から
コピーさせて頂きました。
時々
無性に
お墓参りに行きたくなります。
私は
息子や娘に
立派な人間になって欲しい
などとは夢夢思いませんけれど
他人の痛みのわかる人間で
せめて親の最後の時は
落ち着いて側にいて欲しいと
小さな希望を持っています。
〜 親の葬儀を丁寧にして
真心から喪に服す 〜
その点
わが家の子どもたちは
有難い事に
祖父母が亡くなった時は
息子は献身的に頑張ってくれ
娘は私の身体や身の回りを
何くれと
心配し支えてくれる
心有る人間に
育ってくれたので安心です。
仏教の花とも言うべき
蓮は仏様の台座で
阿弥陀経では仏様の足や
お尻を乗せるものとされています。
私は
阿弥陀経では有りませんが
慈悲深いお顔をされた仏様が
極楽浄土へと誘ってくれるなら
こんな嬉しい事は無いと思います。
親が
天国に行くか地獄に行くかは
親が歩んで来た道ばかりではなく
遺族の祈りや真心が行先を決めます。
ですから
亡くなった方の子孫や身近な者が
供養をしなくては成りません。
お見送りに
贈る音色は…お笛?
それとも二胡?
グッと洋風にギターでしょうか🎸
滋雨の涙さえ
溢れる事も無く…草場も枯れ果てる
父に母に そして
兄に手向けるものは真心と祈り
お気に入りのお宿を手配して
逢いに行って来ようと思います