染師・まいまい です
先日、観た「上杉謙信がやってきた」展で感じたこと
上杉謙信の筆跡のお話・・・
謙信の展示をいろいろなところで観ると、いつも思うこと・・・
謙信直筆って、とっても特徴的
神経質な感じが伝わってきます
筆跡のプロがみても、短気だったことが推測できるそうですね
線が細く、フォルムが硬く尖っています
「はらい」にも特徴が出てるように私には見えます
もはや「はらい」は刺さってます
針のようです
まあ、それだけ真っ直ぐで真面目な人なんでしょうけどね
ちょっと話がそれます・・・
この下の絵の人は、上杉謙信にストーカー?と思うほど異常なしつこさで攻め立てられた、唐沢山城(栃木県・佐野)の城主・佐野昌綱さんです
ちょっとストーカーぶりをご紹介
佐野氏の年表は毎年こんな感じ・・・
「上杉謙信、唐沢山城を攻める」
「上杉謙信、唐沢山城を攻める」
「上杉謙信、唐沢山城を攻める」
「上杉謙信、唐沢山城を攻める」
「上杉謙信、唐沢山城を攻める」
「上杉謙信、唐沢山城を攻める」
「上杉謙信、唐沢山城を攻める」
「上杉謙信、唐沢山城を攻める」
「上杉謙信、唐沢山城を攻める」
「上杉謙信、唐沢山城を攻める」
まるで、いやがらせの迷惑電話の着信履歴のよう・・・
16年間続いたそうですよ
謙信からすれば、唐沢山城攻めはもはやライフワークですね
それだけ難攻不落のお城だったってこと
降伏することはあっても、落城したことはないのだとか
何度も上杉謙信や北条氏康を撃退したと、かっこよさげに何かに書いてありました
って、いうか、なかなか落ちない城にいい加減嫌になって、
飽きたし、自分ちの田畑が気になるから帰っただけなんじゃないの
唐沢山城、なんと、山頂なのに井戸があります 散策時に
↓
だもの、籠城に強いわけだ…
佐野昌綱 像
・・・と、佐野昌綱さんと謙信公はこんな関係です
展示に、謙信公が昌綱さんに送りつけた
「私のいうこと聞きなさいよ!」的な直筆の書状がありました
(ちがったかな?・・・・でもそんな感じです)
その筆跡がいつもより、もっと力んでてトゲトゲ、チクチク
文の最後の謙信の血判がより凄みをましています
まるで突き刺さった文字から血がにじんでいるようです
ストーカー謙信から血染めの脅迫文を受け取った昌綱さん、
「ひえ~~あいつマジだ怖すぎる呪われるどうしよう」
と、プレッシャーだったことでしょう
謙信は演出も上手かったそうですから、
内容によってわざと書き方を変えていたのかもしれません
可愛い幼い甥っ子・景勝のために謙信が熱心に自作した、かなり本格的な「はじめての漢字手本帳(フリガナ付き)」や、
若い家来の親御さん宛に書いた手紙にはあの鋭さは無く、ふんわり優しい感じです
これも謙信公直筆「第一義」
この直筆は同じ人が書いたとは思えないほど、キリキリ、カリカリ感のない気持ちのいい字
このふたりについてはまだ続きます・・・