馬塚古跡 謙信公愛馬・団白のお墓 | 江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

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栃木県小山市でそめもの教室の講師をやっています。
染め物のコトや、じんくん(秋田犬)のコト、歴史、芸術、美術、日々の色々を綴っていきます。

染師・まいまい ですかたつむり



謙信公祭の後、紅葉の時期に再び上越へ


前々から気になっていた場所へ行くことができました


馬塚古跡(うまづかこせき)

謙信公の愛馬のお墓



お馬さんの名前は団白


放生月毛(ほうしょうつきげ)の駒

(※放生月毛が直接の名前だと思ったら、違う?のですね?

皆さん一様に、謙信の愛馬の名は放生月毛と言ってますが、
上越タウンジャーナルさんでは放生月毛の名馬、団白号と
紹介されていますよ)


月の色のお馬さん

金の髪で、
現代的な単語を借りるとすれば、
体の毛色がクリーム色のタイプを「月毛」って言うのですね


本当に謙信公は白っぽいお馬さんに乗っていたのですね

名前も団白だし・・・・


それにしても「月毛」とは美しい言葉ですね

月毛の駒は、月光を浴びるとその美しさが
より一層際だつそうですね


そして、きっとオスよね

基本、戦場にはオスしかいないということを、聞いたことがあります
(ホントに?)

なので、風変わりな作戦もあったとか・・・
その戦場に、発情したメス馬を放すことで、
オス馬は「人と戦ってる場合じゃないっそのコ、オレんだ~っっ」と、
色めきたち、コントロールが効かなくなり大混乱になるのだとか












菊とお酒はすでにお供えされてました

私もお花とにんじんをお供え・・・・

(ちなみにこのお花とにんじんは、あるるん畑で


このにんじん、いい香りでとっても甘いの
どんどん食べてね






第4次川中島合戦(1561)の際、謙信公、自らが愛馬で敵の本陣に斬り込みました

そのとき、愛馬・団白は槍で突かれ負傷してしまいます

団白は深手を負いながらも、謙信公と一緒に春日山城(居城)をめざし、
川中島をあとにしました

春日山城まであと少しというここまで(領内)たどり着いたものの、
ついに倒れてしまいました

そしてここに埋葬されました




文書があるわけではなく、言い伝えなのだそうです

川中島から帰ってきたって・・・・
実際、川中島からここまで、相当ありますよ



領内で亡くなるとは、きっと気がゆるんだのでしょう

団白ちゃん、よくがんばりました

謙信公、団白、共に涙ながらのお別れだったことでしょう・・・

馬は悲しいと本当にポロポロ涙流しますからね・・・




ところで・・・

謙信公が信玄目がけて単騎で武田軍に突っ込んでいったこの名勝負は
本当にあったかは疑わしいとも言われていますね

だけど、あのエキセントリックな謙信公なら本当にやりかねません!
突然いなくなったり、勝手な行動もするし・・・
10回も同じ城を攻めるし・・・
死なないと思いこんでるし・・・
この名勝負、リーダーが斬り込み隊長って、お話にするとかっこいいけど、
謙信公の家臣からすれば、なにしてくれちゃってるの!?って行為よね

「あっ!うちの御屋形様がっ!突っ込んでちゃった!自由人すぎる・・・

みたいな・・・・




所在地は上越市南本町2



「東城町1」という交差点付近です

住宅街の小道の角にありましたよ

道沿いに「毘」の旗があったので、比較的解りやすかったですよ

駐車場は無い様でした



方面で言うと高田公園や高田高校の辺りにありましたよ





パッフレットより  放生月毛の団白ちゃん




パッフレットより

この回のお祭りの団白役はマレーボちゃん
(マレーボ最後の勇姿!?)




GACKT謙信の長年の愛馬だったマレーボちゃん・・・


「今までの馬がもう乗れなくなってしまったので・・・」と
寂しそうな御屋形様・・・

マレーボのことね・・・
長いこと相棒だったし、とってもいい子ちゃんでした

炎天下で鼻の薄皮がむけてしまうほど日焼けしながら
はりきる献身的なコ・・・


マレーボは、撮影のため、
ガクトさんと渋谷を闊歩したこともありました
ホント、愛馬でした





ポスター・パンフレット



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