14.青い瞳の僧 如宝、鑑真のお寺 唐招提寺① 栃木県から車で大阪・九州・奈良♪ | 江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

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栃木県小山市でそめもの教室の講師をやっています。
染め物のコトや、じんくん(秋田犬)のコト、歴史、芸術、美術、日々の色々を綴っていきます。

染師・まいまい です


昨年の11月、でかけていた事をつづっています



九州・福岡で従兄弟の結婚式に参列することになりました


私、まいまい と両親とジン(犬)が暮らすのは、栃木県・・・・



ジンの世話どうしよう・・・・

もちろん、私、姉、母は着物を着たい・・・・
着物って大荷物だし・・・・


だったら、犬も連れて
自家用車で九州までいっちゃおう


ってことで、

途中、いろいろな所に寄りながら行ってきたお話です









14の①


無事、大阪に戻ってきました

そして 奈良 へ


鑑真先生、如宝(如法)さんに導かれ

唐招提寺にとうとう やってきました
(とうしょうだいじ)


専門家ではありません。いい加減な事言うとおもいます。
気になる方は調べまくってください


鑑真(がんじん)の私立(私院)のお寺

唐(中国)の高僧、鑑真は来日して10年後に亡くなります
前半は東大寺、後半はここで過ごしたそうです



唐招提寺
入り口 見上げると・・・・
孝謙天皇(女帝)の直筆の「唐招提寺」
(当時のは新宝蔵で見学できます)
直筆といっても、それをさらに彫ってありますけどね



「清潔感のある字だ」と褒め称える方もいますが・・・

私の感じた第一印象は「かたい」です

女性らしい、ふんわりした優しさ、温かみがありません
ただひたすらに、くそまじめ

女帝になりたて(30代)の頃の字?

気持ちに余裕が無く、いっぱいいっぱいの中、
「キレイに書かなくては 」って、肩を強ばらせ、
あせっている彼女の気持ちが伝わってきます

筆の運びに遊びがなく、触ったら切れそう血
カミソリみたいな字・・・くすり箱。

あっ、なるほど
この時代を代表するほど達筆な道鏡が
隣でガンガンに見てたら、こんな字に
なるな・・・


(道鏡にマインドコントロールされた直後の字?)


怪僧・道鏡の毒牙を余裕で愉しむ淫靡な女帝
 違います
孝謙天皇に思いをはせるようになった私は、
ますます彼女がかわいそうで同情しているのです

※ブログテーマ名
僧侶が天皇になる!?道鏡と孝謙天皇
もよろしくお願いします





ここでちょっと当時のお坊さんの役割の話

今のお坊さんは宗教的な役割が大きいですが、
当時のお坊さんは、学問を修めた知識人でもあります

語学、医学、彫刻、建築・・・あらゆる学問を
網羅したスーパーお坊様(高僧)は、
何カ国語も涼しい顔で話すのは当たり前の超インテリglasses*


仏教は伝来していたものの、まだまだ国民には
浸透していなかったそうですね

国民のほとんどが文字が読めないのが当たり前だし
仏教なんて
「囲い(境内)の中でなんか妙なことやってる~」
「何言ってるの?難しくってわかんな~い」
「オボーサンって食べられるやつだろ?

とかって言いそうな民度

布教活動 大変だったろうな



そんな中でも、僧侶になろうとする人っているんですね・・・



唐招提寺
金堂

鑑真が生きていた頃は
廃材を再利用した?(これも仏教の教え)質素なお寺
だったようですね

「雨風しのげれば いいもんっ」って鼻息荒くする
ストイックな鑑真先生

(国が庇護すべきなんじゃないの?・・・あ
鑑真のタイプからすると、あえて断ってそう




この金堂はじめ、境内のほとんどの建物(伽藍)は、
鑑真の意思を継いで愛弟子、
如宝(にょほう)さんが建立しました

地道な布教活動により、ちょっとずつ建てたそうです
770年から10年間ほどかけて
がんばりました
(770年って言えば
道鏡が下野に左遷された年 めんどくさい人が
都から去ったから、やりやすい?)


如宝さんってソグド人

ウズベキスタン(ブハラ)の人
ソグド人は、シルクロードの商人が多いんだそうですよ

遙か昔、アレキサンダー大王の東方遠征の
影響を受けた地域で、混血が進んだ結果、
現在でも見た目、白人の方が多くいらっしゃいます

なので、如宝さんは、金髪碧眼だったり、
西域独特のエキゾチックな美しさをあわせもつ、
ダルビッシュさんの様な面持ちだったに違いないのです

ホントに青い目のお坊さんだったとか・・・
独特の美しい顔立ち、瞳で、教えを説く・・・



メロメロです(←煩悩まみれ) (ファンなんですっ)





(そういえば、昔の実在のお坊さんの逸話にイケメンだの
なんだのって外見について触れてることって少ない・・・
そんなことはどうでもいいってことよね・・・
これも欲に囚われた考えなのかな・・・ 
俗っぽい「おはなし」には美しい僧侶は出てくるけど)





如宝さんは、特に頭が良く優秀だったそうです

23歳で鑑真と共に来日、日本で僧侶になりました

20代は、日本の仏教向上プロジェクトの一環として
私の地元、下野薬師寺で、戒師(戒律を授ける高僧)
をしてました

鑑真の死後、(76歳・763年)
すぐに都、奈良に戻りました(33歳くらい)

44歳くらいで東大寺戒壇院和上に
スッゴーイ

当然、ここ唐招提寺の住職も勤めました

若き空海(20代)とも交流があったとか・・・
空海(くうかい)は、ソグド語やペルシャ語などの言語、
大陸の様々な文化、宗教を如宝さんから
学んだそうですね・・・

空海が感じる如宝さん(60代)は、落ちつきはらった
風格を持つ、ピシッとした僧なんだそう

尊敬しながら、
びびってる空海さんですね

空海は留学しますが、如宝さんから受けた影響が
多大だったことでしょう

天皇が替わり・・
桓武天皇は政治と仏教を切り離す政策
をしたようですが、年上の如宝さんのことは、いつまでも
真に尊敬していたそうですね



そんな如宝さん84歳の天寿を全うしました
長生き~~

昔でも、節制し、規則正しい生活をすると長生き
できるのですね~



見た目も違ってくるほどに、遠くからはるばる日本へ
やってきた如宝さん・・・

人生のほとんどを日本で過ごした如宝さん・・・

そんな異国情緒漂う如宝さんに
思いをはせながら見学







新宝蔵(金堂に安置されていたお宝を収めた、現代の
資料館)にも行ってみました

そこで、行基さんに ばったり (行基「ぎょうき」像 安置)

東大寺を造るプロジェクトのとき聖武天皇に頼りにされた
土木建築が大得意のお坊さんです




唐招提寺



唐招提寺
正倉院と同じ造り?
あ、正倉院より古く、最古の校倉造りだそうです




如宝(如法)・下野にやってきた ソグド人の若き僧侶
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天狗伝説ってソグド人・如宝(如法)のことじゃ!?(雷電神社)
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2に続く・・・・





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驚きのお話 


古の御代・・・
許されざる間柄に禁断の花が生まれたという・・・


「道鏡事件」の渦中の女帝と高僧、
孝謙天皇と道鏡は
男女の関係だったと噂が現代でも
面白おかしく囁かれますよね

男女の関係どころか、子どもがいます 
栃木県に伝わる伝承です

女帝が栃木に来てから産んだわけではありません

皇子が栃木県にやってきたお話


日時までもが事細かでリアルな、歴史の闇に葬られた
禁断の少年皇子の伝説です 


衝撃 
1 孝謙天皇は道鏡の子を産んでいた! その名は英親王!

秘話!高僧と女帝の間に生まれた子

もどうぞ
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