ガクト(GACKT)さんが謙信公祭に縁ができたわけ
2007年の大河ドラマ「風林火山」に上杉謙信役で
出演なさってました
この2007年は多くの尊い命が失われたあの大地震、
新潟県中越沖地震が7月16日に起きた年でもあります
自分も何か貢献したいと感じていた意味も込めて
参加なさったそうです
震災のほぼ1ヶ月後の参加、
しかもこの時期はまだ大河ドラマ撮ってる最中でしたね
ガクト(GACKT)さんが謙信公祭、初参加の頃の話
緊張でドキドキしながら、出陣パレードしていたら、
馬上の自分に、沿道で真剣にありがたく拝み続ける
おばあちゃんが目にとまったそうです
ガクトさんは、えっ と一瞬驚いてしまったそうです
べつに自分に拝んでるわけじゃないんだ、
目の前によみがえった謙信公に拝んでるんだ・・・
謙信公を信仰する文化だとすぐに理解したそうです
こんなふうに感じるということは、まだこの頃は現在のような
謙信公が身体に降りてきている神懸かりの完全な謙信公
ではなかったのかもしれませんね
※今では・・・
ガクトさんは「自分は謙信そのものだ」とゆう表現でなく、
謙遜してらっしゃるのか、
「謙信公が隣で見守ってくれているような感覚がある」と
ゆうようなことをおっしゃってましたよ
沿道の群衆が期待をよせている様子を馬上から見ていたら
「きっと、謙信もこれと同じ風景を見ていたんだ・・・」と
確信したそうですよ
謙信公祭 出陣行列
お祭りづくりの話
ガクトさんとの縁ができてから、回数が浅い頃、
地元の方々も手探り状態?遠慮?していたのでしょうか
お祭りの演出等、ガクトさんにほとんど任せた事があったの
だとか・・・・?
「自分たちのお祭りなんだから、
みんなで一緒に作らなきゃ!」
とガクトさんは渇を入れたのだとか・・・・
ホントに真剣ですね
どうでもよかったら、ひとに渇は入れません
上越タイムス
毎回、試行錯誤のあとを感じる演出、会場づくり、
お祭りづくりが解ります
今年の回は特に成功していたと思いましたよ
謙信公がつくり、残した「上杉家家訓」を
地域の方は小さな頃から学校で学ぶそうですね
謙信公の精神、理念「第一義」は、今も脈々とこの地に
受け継がれています
謙信公は、自分がこの世からいなくなったとしても、
みんなを、この地を守っていきたい、リーダーでいたいと
思っていましたね
大丈夫
今でもみんなの心のアニキですよ
謙信公祭で無料配布されているパンフレット
謙信公祭2013 ①出陣行列・お墓参り(GACKT・上越市)
謙信公祭2013 ②川中島合戦 じん謙信参戦?(GACKT・上越市)
(テーマ名 お祭り)
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