林泉寺・謙信女性説(謙信公祭の旅15) | 江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

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栃木県小山市でそめもの教室の講師をやっています。
染め物のコトや、じんくん(秋田犬)のコト、歴史、芸術、美術、日々の色々を綴っていきます。

染師・まいまい です




お祭り後の翌日、観光しながら帰ります




林泉寺(りんせんじ)にやってきました



ここは上杉謙信が幼少期を過ごしたお寺


謙信は、幼い頃、乱暴が過ぎることが理由で、
この寺に入れられます
(表向きの理由は、です  他にもあると思いますが)

※「おうち」から遠く離れた場所ではないのですね
城内?お城と同じ山の中にあります

和尚さんたちからビシバシと教育されます
学問はもちろんのこと、他人を思いやる慈悲の心の
大切さ、禅の教えを学びました・・・

・・・と、このままお坊さんで道を極めたいなと思って
いましたが、御家騒動で、還俗させられ、担ぎ出され
19歳で、ここ、春日山の城主になりました

そして「御屋形様(おやかたさま)」の道を歩まれます・・・





林泉寺

林泉寺 

林泉寺

 

林泉寺
謙信公 直筆の「第一義」

和尚さんに「第一義」の真意を学び、心に刻んだ謙信は、
この山門を造り、「第一義」を掲げました

謙信の「謙」は尊敬する和尚さんの名前の一字を戴いた
ものだそうで、生涯、学び、精進しました



林泉寺
謙信公のお墓

49歳でここ春日山で亡くなります

(厠・トイレで倒れたそうです・・・
越後の冬は寒そうだし・・・ お酒も大好きだったしな・・・
キュッてなっちゃったんだろうな・・・)


ここのお墓には遺体はありません

山形県米沢市の「上杉家廟所」にあります

ミイラ?状で・・・・・・・・

「自分がこの世からいなくなってしまっても、この地を、
民を守っていきたい、みんなの心の支えでいたい」
とゆうような思いもあってか、
ミイラになりたいとの本人の意向もあり、
遺体に漆を塗り、甲冑を着せ甕に収め埋葬された
そうですよ


謙信はエキセントリックな人だったそうですが、
こんなところからも、わかりますよね





墓前には、ガクトさんがお参りなさった時のお花が
お供えされてました

きっと謙信公も、ガクトさんはじめ、みなさんが
一生懸命お祭りに取り組む姿勢を
とても喜んでらっしゃることでしょう



林泉寺 
川中島合戦の戦没者供養塔



林泉寺 
堀 秀治 公 という方のお墓

ふと、気になり撮らせていただきました・・・

まるで、胸元に大きな花束を抱え、うれしそうにしてらっしゃる
ように見えたものですから・・・

林泉寺
フカフカの苔がいっぱいで眠り心地がよさそう



林泉寺 

林泉寺


 なぜ、ガクトさんに大河ドラマで謙信を演じる話がきたのか



謙信はカリスマもさることながら、美しく、
実は女性、両性だったのではないかという説を重視し、
大河ドラマのキャラクター設定したため


「さ~、困ったそんな人 ・・・・・   いた
ガクト(GACKT)さんしかいないロック・オン」と
狙い撃ちしたそうですよ

(ガクトさんは見た目とは裏腹に、ものすごく男、
もっと言えば「漢」ですよ)




当のガクトさんは・・・・

自分は音楽の人間で、役者は専門外だし、
役者をやっていこうという考えが無かったし、
今までずっと断り続けてきたし・・・・・

かなり悩まれたそうです
「はたして自分にできるのか・・・・・・・」




これまで、謙信と言えば、僧兵の純白の頭巾が
定番のイメージでしたよね
でも、この風貌は実は後生の人が作り出した姿で、
実際の謙信は違ったそうですね

あまりに有名な肖像画なども、全く別の時代の人が想像で
描いたものなんだそうですよ


そんなこともふまえて、定番の頭巾はやめて、従来にない
中性的な独自路線のミステリアスな「御屋形様」を
つくっていったそうです




謙信公祭り2013
お祭りで無料配布されているパンフレット









謙信、女性・両性説ですが・・・・




確かに言われるように、趣味思考が女性っぽい・・・


戦国武将の愛読書って、「孫子の兵法」なんじゃないの
愛読書、「源氏物語」って・・・・女子じゃん しかもエロ本


京都大好きで、雅で、持ち物も都趣味

自分の先生に、京都の貴族もいたりする影響も
あるのでしょうが・・・

さらさらと書いた字も雄々しい感じはなく、風流な様子
でも、ちょっと、この人、神経質



まれに、両性具有で産まれた人は、現代ではどちらか
選ぶことができるそうですが、昔はそうはいかないわけで・・・
そうすると「難題になりそうなモノ」は寺に「しまう」わけで・・・
謙信が幼い頃にさっさと寺に入れられるのもわかる
気がする・・・


当時の宣教師が謙信のことを女性と間違えたり・・・

女性の名前に比較的多く使われるという「虎」の字を
自分の名前に使っていたり・・・
母を慕ってたから?お母さんの名前は「虎御前」
「謙信」を名乗る前は、虎千代(幼名)、景虎、政虎・・・・

家臣の前で肌をさらすことがなっかたり・・・

生理痛で部屋に引きこもったり・・・

生涯、独身、実子はいない・・・・

昔からの童謡、手まり歌?にも、解釈に困る「謙信が女性」
を示唆する内容が含まれているのだとか・・・





謙信は、せわしなく自ら、あちらこちらに進軍し、勝利します

ですが、攻めた地を自分のものにしない、今ある自分の
領地を守る、やっぱり変わった戦国武将でしたね


この感覚って、女性、奥さんが、家を守る感覚だと思います

対して男性は征服欲が強いですから、とりあえず、
奪い取って自分のものにしたがりますものね





(だけど北陸の地は進軍してちゃっかり手中に収めてます

「だって、船で海に出て、京都に行くのに便利なんだもの
どうしても欲しかったんだもんっ 」    ・・・・てね





(※様々な見解がありますが、あえて女性らしさを強調した
考え方をしてみました)








それでいて戦の天才、圧倒的な強さ


あの織田信長も、「謙信には、かなわなそうだ」となると
贈り物作戦して、ご機嫌とってましたよ


しかし謙信は、若き信長に見切りをつけ

「織田軍 案外 弱し」

「信長は、魔王と呼ばれたり、自称してるらしいが
戦ってみると、たいしたことはない

という内容を文書に残してますよね






軍神  毘沙門天  越後の龍 

かっこよすぎです











女性・両性説もありです


えっっ

オネエ(男性好き)かも



林泉寺 

林泉寺


謙信公祭
お祭りの手ぬぐい

謙信が好きだった紫色で、製作したそうです




謙信公、心のアニキ!謙信公祭ガクト逸話(謙信公祭の旅7)


※専門家ではありません
めちゃくちゃなこと言っているかもわかりません
丸写しなんて恐ろしいこと厳禁ですよ




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