謙信が再興!五智国分寺(謙信公祭の旅11) | 江戸手描き友禅「染工房 まいむらさき」のそめいろ日記

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栃木県小山市でそめもの教室の講師をやっています。
染め物のコトや、じんくん(秋田犬)のコト、歴史、芸術、美術、日々の色々を綴っていきます。

染師・まいまい です


お祭りの前にちょっと観光



五智国分寺(ごちこくぶんじ)にやって来ました


聖武天皇の時代にこの地にも国分寺が置かれました
国府(役所)とセットで・・・




えっ 建物(寺)がある




私の地元、栃木県の下野国分寺は史跡になってしまっていて
瓦のかけら とか、建造物の跡ぐらいしか
残ってないのに~

聖武天皇の時代、下野国分寺は数ある中でも
重視されていたのに、散々な状態です

※詳細は・・・
テーマ・ 

歴史散策・下野国分寺跡 国分尼寺跡 3


をご覧ください






すご~い ど~ゆ~こと


五智国分寺

五智国分寺 


そうですか~ さすがです

戦国武将、上杉謙信が再興して以来、今に至ってる
のですね


やっぱり、昔も今もだと思いますが、きちんとした教育
を受けた偉人は文化を大事にしてますよね

文化は人の心を豊かに育てますからね

文化レベルも向上するし
有力なリーダーが盛りたてたモノならより、
文化の大切さを学んだ意識レベルの高い人たちが、
こうしてきちんと守り伝えようとするのですね



※この国分寺は本来の場所ではないそうです
本来の場所はわかっていないそうですよ

その点、下野国分寺は、本来あった場所は確実に
わかってますよ


五智国分寺 






 

境内には親鸞関連のモノも・・・・


五智国分寺

この地へ流罪でやって来た親鸞

流人として5年、その後、2年をこの五智周辺で
妻の恵信尼(えしんに)や弟子たちと過ごしました

その後、たくさんの信者さんとの別れを惜しみながら、
関東への布教を決心し、常陸国(茨城県)に向かいます・・・


親鸞と恵信尼は子宝にも恵まれました
7人はいるのだとか・・・

恵信尼さん、すばらしいですよ~
43歳くらいまで産んでらしたそうです
女性としての生命力が強いとゆうか・・・
尊敬します


親鸞は高齢になってから、子のうちの一人、
「善鸞(ぜんらん)」に悩まされます

父、親鸞は都にもどりますが、
息子、善鸞は常陸国にとどまり、布教活動しますが、
従来の父の教えには従わず、独自の考えで活動し始めます

親鸞は、手紙で度々いさめますが、
全く言うことを聞き入れません

息子からすれば、父が偉大だとプレッシャーだし
反発せずにはいられなかったのかもしれません

そして父、親鸞は人知れず、阿弥陀如来に
手を合わせ、静かに涙を流し続けました

父と子、いつまでも互いに試練、修行の身だったの
でしょうね

ついに、親鸞84歳の時、息子、善鸞に勘当状を送り、
90歳で他界するまで、生涯、許すことはありませんでした
 


・・・・・と、親鸞のお話はこんな感じです

あと味わるい・・・・

どうにかハッピーエンドにならなかったのかしら・・・



五智国分寺

親鸞たちが布教活動の拠点にしていた
竹之内草庵

五智国分寺 

五智国分寺




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