貧乏暮し中の夫婦間のもとに

産まれてきた、私。



覚えているのは歩くのが

早かった。


だから

住んでいた集合住宅の

5階建ての5階に住んでいて

小さな身体ながら

頑張って登っていた

覚えがある。



そして翌年。

弟が、出来た。



また被害者が増えた…



幼い私は病弱で

小児気管支喘息になって

保育園に通っていたけど

病院にはよく行った。



弟とは年子。

歩ける私は歩ける所は

1人で歩いていた。



そして2歳の時

山口県~広島県へ

引越しをすることに…



貧乏なのに引越しとは。

よくやったもんだ。



食生活は本当に貧相で

豆腐やもやし、漬物

ばかりだった覚えがある。

それなのに引越し。

頭おかしいんじゃないかと

後々考えたら思った。



弟が産まれてからも

最悪な生活は変わらない。



それから

私は幼稚園へ行くことに。

弟は保育園へ…

母が内職を始めた。



広島へ着て賃貸に住んで…

さすがに貧乏すぎだからね。



それから少しして

家庭がほんの少しだけ

安定し始めた。



誕生日会やクリスマス会も

出来るようになった。



私も弟も友達に恵まれた。


小学生になるまで

ある意味では

何かと楽しい日が

多かったかなと思う。



毒親は休みの日になると

2人揃ってパチ屋へ…



よく連れて行かれ

弟と2人で待っていた。



今じゃ、すんごく問題になるね(笑)


幼いながらに不思議と

何かを感じていたのかな?



連れていかれていた時の楽しみは

パチ屋のお姉さんお兄さんと

一緒に遊べることだった。



幼稚園では毎日楽しかった。

友達、先生と遊べて良かった。



自分で言うのもなんだが、

友達の中で人気は

人一倍あったと思う。←



幼稚園生活もそろそろ終わる…

それをわかっているのが

余計イヤでよく泣いていた。



みんな、元気にしているだろうか…

会いたいなあ〜…。





でわ、また。