私の多くを認めてくれなかった父親にすら認めてもらったくらい、昔から文章を書くことは得意な方だった。

小学生の頃から国語がいちばんとくいだった。

言葉が好きで、表現が好きだった。

小さい頃から絵を描くことが好きで、3時間も4時間も熱中して毎週100枚綴りの自由帳を3冊使い切っていた。

絵は仕事にならないから、その集中力を他に活かせばいいよ、という大人の言葉を疑うこともなく、簡単に絵を手放してしまって、(とはいえ17歳くらいまで何時間も部屋に篭って絵を描いてはいた)

要は馬鹿なのだ。奴隷かよ。

そして大学生になって手に入れたのはステージで歌うこと。楽器を弾いて歌うこと。自分で歌を作ることはなくて、人の歌を借りてうたっていた。中途半端も甚だしいけど、人様の歌が自分にハマった時、自分を客観視するような感覚になるくらいゾーンに入った。鳥肌が止まらなかった。表現が好きなんだなって26年間しみじみ思っている。


大抵の時間、自分の頭の中には話したい言葉と並行して状況をナレーションするかのような文章を紡がれている。だからとてつもなく独り言が多い。バレてたら恥ずかしい。

あと、最近はかなり減ったけど

頭の中で反芻される思い出を右手の人差し指を使って手の中で、絵に描いていた。形に起こすことはなかったけど。

昔から仲良い子は私が右手でいじいじいじいじ何してんねんそろばん?と思ってたかもしれない。じつは、絵を書いてました...


それら全部全部形に残る表現にしてたら、できてたら、どうなった?

その「たられば」から脱する方法として始めた一つのツールがこのブログ。

見られる前提だと上手く書けないから、ひっそりやりたいけど、読み返したら好きかも、みたいな感じが多いから表に出す。


表現が好きだから、言葉が生きる上で命の次くらいに大事。なのに、出ないんだよなあ、夏の始まりくらいから。

スラスラ話せる相手や環境が今ももちろんあるけど、それがより狭められた感じ。

仕事にめちゃくちゃ影響が出ている。接客ができない。無理やりやってるけど。そしてその「なんとか言葉を振り絞って話そうと強く思っている」意思を汲んでくれた優しい人だけが私のコミュニケーションを受け入れてくれる。

頭の中が真っ白なんじゃなくてむしろ逆。必要な情報が溢れかえって、それを取捨選択できない。溢れる言葉、そして相手の困惑する顔、困らせている、迷惑をかけている、馬鹿にされているかもしれない、どんどん不要な情報が頭を支配して、結局「アレがソレになるからええ感じですよね」とか言ってる。

流石に嘘だけど。まあでも、ほんまこんなノリやで。


雷が鳴っている。ずっと雷の音は怖かったけど、今は嬉しい。外の音が聞こえるくらい、ちゃんと私1人なんだ。

それが嬉しい。


あ、今めちゃくちゃ近所に雷がおちました。流石にめちゃくちゃ恐怖です。


別に言いたいこともない。

ブログに書くことなんて感情をいじくり回して言語化して記しておくだけの自己満足だから

ブログ読んでくれた人に「これ私のこと書いてるやろ」って言われたら

「!?!?いいえ?!?」です

わざわざ1人のためにこんな長い言葉書きません

そんなけ愛されてると思ってくれてるなら幸せな人やね〜と思う


言葉なんて言ったもん勝ちで、感情も思想も言語化する時点でズレが生じて、どんどん本来の形をとどめられなくなっていくのに。

それでも言葉でしか伝えられないことだらけだから、言葉を大切にする。

君の言葉の使い方をおしえて。

美しい言葉を話すひとが好き。

言葉を選んであまり言葉を紡がない人が好き。

思いもよらない言葉を使う人がすき。

言葉に執着しすぎて、簡単に言葉にできなかったあの時の自分が好き。


「みんなには恥ずかしくて言えはしないけど

お守りみたいな言葉があって」

今日まで君がくれたその言葉に何回も何回も何回も生きる活力をもらったんだよ。


「誰にもわかってほしくないから日記に書かない幸せ」

誰にもわかんないように、ずっと私の心に秘めておくね。


おやすみ


部屋がきったないし、体質で季節の変わり目に肌が過剰反応してしまって、身体中が毎日ずっとかゆい。全身ボロッボロで引っ掻き傷とみみず腫れだらけ。

でもだいじょぶ、かわいい服着たら今日も可愛いしー!!🎵 かわいい、という言葉は魔法だな〜使う人によるけど、いや、使う人の「姿勢」によるな。

搾取しない「あなたかわいい」がたくさん飛び交う毎日だったらいいな、LOVE