🌸2024.3.8🌸

今日は息子くんの

通信制高校卒業式でした。


朝起きたらなんと雪💦焦りましたね。。。

なんで今日に限って。。。

会場まで(片道13キロ)電車は無理だから

うちは自転車で行かなくちゃならないんですよ!!


苦手な式典、学校とは別の場所での開催。

学校での練習にはきちんと参加できましたが、

当日の午前のリハーサルは体調面を考慮し、

自分で出ないと決め、本番の卒業式、

謝恩会に最後まで自分の席で配慮なしで

頑張りました。


もう出られた事、それだけで感無量なのです。


そして今日という日を迎えるまで

どれだけ大変だったことか😭


〜振り返り〜

幼稚園からなかなか親離れできずによく泣いてたり、教室が2階になったら一人で上に上がれなかったりと、ん?と思う場面はありつつも、

まあ頑張ってはいたのですが、

小学校1年生の6月頃、教室でのおもらしを

きっかけに1年間の行き渋り。

後から分かったことは当時の担任はヒステリックで他の子に対してもよく怒鳴るのでそれが恐怖でしかなかったらしい(泣いてたら廊下出されて泣き止むまで教室入れないとか)

ワンワン泣いてるのに引きずって学校に連れていってた日々。日曜日は泣きながら眠りにつくし、

ほんとにこれでいいのか?送り届けて家路に向かいながら、私も辛くて泣いてた日々。


正解が分からなくて、ほんとに苦しかった。

カウンセリングの先生の

『この子は大丈夫だから、連れてきて』

その言葉を信じるしかその時はできなくて。

昇降口で待ち構える担任に引き渡していました。

担任のことが嫌なのにそれって拷問ですよね😭

でも小さいから担任が嫌だなんて言えないし、

泣いても何してもどうせ無理なんだって

その時は思っていたそう。これは絶対によくない!!!!

2年生になったとたん、

マンションの仲良しの新1年生が毎日迎えにきてくれて元気に行けるようになった。

担任が変われば、大丈夫ってことなんですよね。

びっくりしました。

無理させすぎて反省しかないです。

6年までは給食が苦手で行きたくない日もあったりはしたけど、いい担任にも恵まれ、習い事もたくさんして、充実した楽しい学校生活を送れていた。

中学入学式の次の日、

義兄が若くして亡くなり、1週間学校を休んだ。

入学してすぐの1週間の遅れは敏感な息子にとっては致命的だったよう。遅れをとってしまい、校内の場所すら自分だけ分からない、友達作りも乗り遅れ、この大事な時期の休みをきっかけに全てが崩れていったように思う。行かなきゃ良かったと思うけどこればっかりは仕方のないこと。

その後、保健室登校→別室登校→7月からは完全不登校生活。2年から少しずつ行けるようになるものの必ず付き添い、授業は数時間のみ。

高校は公立は諦め、通信制高校へ。


希望に満ちて入学した高校生活は最初の方は順調だったものの、息子にはクラスの金髪や派手な化粧、香水、刺激の強すぎる環境に馴染めなかった。次第に行けなくなる。近くまで付き添えばなんとか行けて単位は取れて進級、2年になり、担任の先生が悪すぎて(次の年すぐ退職されるほど)ほんとに悲しいほどに酷かった。電話の応対などでこの先生は無理だと私も思ったほど。ホームルームだけに限らず、授業に全く行けなくなってしまった。それでも診断書提出でなんとか進級できた(不思議)

3年は2年の単位も取らなければならないというかなり大変な一年に。よく頑張ったなと思います。

ホームルームはおとなしい子ばかりを集めた人数少なめの穏やかなクラス。一度も休む事なく行けた!でも異常なくらい大人し過ぎるクラスなようで友達はいつまで経ってもできず。。。それはとても残念でした。3年になっても一人では不安が強く付き添いが必要で私もよく頑張ったなって感じです。おかげで体力はついたし、ありがとうと言いたいくらい。

〜振り返り終了〜


もうとにかく色々な想いが込み上げてきて、

開始前の卒業式の会場の座席で涙腺崩壊。

涙が止まらなくなった。

オルゴールの音色がまた涙を誘うのです。


始まってからも

やはり一度緩んでしまった涙腺は、

元に戻らず、ひたすらずっと泣いてましたね。

ぐったり疲れました。

(息子の前では泣きません)


なんとか卒業はできたけれど、

3年間、大きな行事には何一つ参加できなかった。

リハーサル等に全て出ないと本番にも出られないなど、縛りが多過ぎて、少しだけ出ることはさせてもらえない感じで、でない選択をするしかなかったのです。

やりたかった体育の授業もいつも微妙な時間帯で

結局一度も出られず。

2年はほぼ行ってないので2年しか行ってないのもありようやく学校に慣れてきた頃に卒業。

もう一年あればなぁ、

中学の時と同じ事言ってましたね。


卒業式が終わって出てきた息子は

泣いてました。


続く。