2011年東北地方太平洋沖地震があった時、当時、小学校卒業を控えていた娘の卒業に纏わる準備をしていた為、私はたまたま家におりました。
比較的早い段階でいつもどおり仕事に行き、やるべき予定をこなしながらも
度重なる余震、東北地方に住む親戚、友人となかなか連絡がつかない不安。
念には念をいれて、自分が家に居ない間、一緒に暮らしている犬たちが安全である工夫をこらしたり、いろいろな心配事とこれからのことを考え直すきっかけと共に少しづつ日常を取り戻していったことを覚えています。
大阪は今年に入ってから2回ほど足を運んでおりますが「だから関西は大好きだ」と毎回しみじみ感じるほど、エネルギッシュであたたかな大好きな人がたくさん暮らす地域です。
これ以上被害が出ませんよう、一刻も早く元どおりの生活が出来ますようお祈り申し上げます。
震災でもう一つ思い出すことがあります。
あの頃、私がまだ夜の世界にいた時、年齢も、売り上げ金額も近く、良きライバルだったレイカが独立をし、ちょうど自分の店をOPENさせたばかりの時でした。
ホステス時代から女の子にも、お客さんにも慕われる人柄をそのままに〝ママ〟と呼ばれるようになったレイカに会いに私も当時のお客様に遊びに連れて行ってもらっていたりしたのですが、震災
後はほとんどの予約が一旦キャンセルとなるも、家賃、従業員への給料など、必要最低限の支払いはしなければいけない苦しい状況にぶちあたり
レイカの口からはじめて
「店なんかはじめるんじゃなかった!ホステスに戻りたい!」という言葉を聞いた時の自分の気持ちを思い出します。
レイカはね、ママなんですけど、重症レベルのめんどくさがりで、いつも、のみすぎと、疲労感と、かったるさを素のまま全開にしてるような子だったのですが、、、。
なんかそれがレイカの魅力だったんですね(笑)
(ぜんっぜん嫌な感じがしないの。)
その証拠に昔からレイカを見る男性達は口々に「あの若さであの気だるそうな色気がある子はなかなかいないよ。」と噂していたし。(笑)
周りの女の子にもあまり興味がないんだけど(多分なんでもかんでも全部めんどくさいからw)そこがミステリアスで年下の子からは憧れと尊敬の眼差しで一目置かれる存在だった。(笑)
まぁ、本人はびっくりするぐらい、とにかくなんでもかんでもナチュラルにめんどくさがってるだけなんですけど(笑)
でもそれでも「もう夜の仕事なんかやめたい!」とか「あの頃にもどりたい!」とかいう言葉は1度も聞いたことがなかったから今も私の印象に強く残っているのだと思います。
普段、いついかなる時もグダーっとしたり、ニャーっと笑ったり、どこか遠くを見たりしてる彼女がその時ばっかりはシャキッとした口調で弱音を口にしたからね。
長くなってしまったので、レイカのその後や私が夜の世界で垣間見た真理の話の話は人生いろいろ・女もいろいろシリーズとしてまた改めてブログに書いていきたいと思います。
それではまた♡