紹介された病院はいつも混んでいて初回の日は呼ばれるのに3時間、診察に3時間もかかり一日がかりでした。
途中、子供が帰って来る時間になってしまい実家に連絡してお迎えに行ってもらいました。
その時はまだ病気の事も話していなくて病状も分からない時だったので親にバレないように必死でした。

色々な検査をしてやっと呼ばれて中に入りました。
病名は左心房欠損症、肺高血圧という病気でした。

私は今まで大きな病気もした事が無く風邪もひかないぐらい元気な子でした。むしろ元気だけが取り柄でした。

なのに、、何その病気?すぐ治るよね?死なないよね?
そんな事が頭の中グルグル回り、子供どうしよう!そう思った瞬間泣き崩れました。

先生が色々今後の事を説明してくれてるけど全然聞こえなくて、、死んだら子供は?後何年生きられる?明日からどうしよう!そんな事考えてたら先生はきっときずいてくれたんでしょう、、私に優しく説明をしてくれて
明日から辛い検査の日々が始まります。とりあえずすぐ入院の手続きをしてください。生きられるように私も一生懸命頑張りますからあなたも子供の為にも頑張りましょう。と言ってくれました。
けど子供を置いて入院なんて出来ないし、入院費なんて払えないと言ったら 手術しないと後10年生きられませんよ!と初めて余命を言われました。

それを言われた瞬間にやっと自分が今どんな身体で生きられるかも分からない程の病気なんだと理解しました。

そこから帰りどうやって車を運転してきたのかも分からないまま子供を預けている実家に戻りました。

親にどう伝えよう。きっと自分のせいでこんな身体になったと絶対責めるだろう。泣くだろうな。とか色々思いました。
案の定泣いて自分を責めていました。元気な身体で産んであげられていなかったのね。と、、
でも私は今まで元気に幸せな日々を送って来たし、こんな身体って知らなかったから2人も子供産めてママにもなれたから不幸だとは思っていないよ!と伝えました。。本当にそう思ったから。
もし病気の事が分かっていたら私は子供を産む事は出来なかったでしょう。。先生も奇跡だと。

子供達には病気の事を伝えられませんでした。
少しの間検査してくるから実家で待っていてね。としか話せませんでした。

家族の協力のおかげで子供達のこれからの事は安心したのでその日から私の闘病生活が始まりました。