皆さんこんにちわ☆こんばんわ☆おはようございます☆
本日は学生時代④になります!
高校を武道特待で入学した私ですが、その部活には問題があったのです。
私と同学年の子たちは現顧問に特待生で引っ張られて入学したのですが、先輩方は元顧問に特待推薦され入学されていました。
現顧問からしたら、自分で選んで推薦した生徒ではなかったので可愛くなかったのでしょう、部内での差別行為や体罰が私たちが入学してくるまでひどかったと聞きました。その先輩方が訴えたのかは不明ですが、一時部活動禁止にされていた時期があり、この部活を極めたくて特待で入学してきた私たちはひどくショックを受けたのを今でも覚えています。現顧問が一時謹慎になったとき外部からのコーチが来てくださり指導してくださりましたが、そのコーチがいなかったら今の私がいなっかったぐらい人生を変えてくれたコーチで今までで一番信頼していたんです。
ちょっと話が外れますが、高校1年の5月ぐらいでしょうか、私の母親の子宮に腫瘍が見つかりました。発見当時は「おしっこが出ない」という症状があったようで発見が遅く、腫瘍は直径20cmほどになっていました。大きい病院へ行くようにと言われ、一人で行くのは怖いと母親から言われたため大学病院受診に同行しました。診察時に医師よりこんなに大きいので手術して除去するしかないといわれすぐ入院を勧められましたが、母親が発した言葉は「末っ子の子の修学旅行が1週間後にあるんです。母親として小学生最後の思い出の修学旅行の準備を一緒にしてあげたいんです。なので入院はちょっと待っていただけませんか」と。
すぐにでも入院したほうがいいといわれたのに何言ってるんだと当時の私は疑問でした。
妹の修学旅行後無事に入院したのですが、入院後スムーズに手術の日程が決まりました。当時手術の話を父親と一緒に聞きましたが、排尿が出ないくらい腫瘍が大きくなって膀胱を圧迫していること、開腹してみないと腫瘍が良性か悪性かわからないこと、手術自体は腫瘍除去目的で行うことの説明がありました。手術当日、父親とともに母親を手術室へ見送ってからお昼時だったこともあり父親と近くのお寿司屋さんへ行きました。食事中に病院から1本の電話がありました。「いますぐ病院へ来てほしい」と。
病院へ着いたら、執刀医よりすぐ手術中の説明がありました。「腫瘍は現在直径30cmまで大きくなっており、良性とは考えにくいこと、子宮や腸、その他の臓器に癒着(くっついている)しており完全除去してしまうと出血性ショックで亡くなるリスクが高いこと、除去することは可能だが手術室での多量出血で亡くなられることは避けたい、ちょっとでも長く生きてほしいなら腫瘍除去せずおなかを閉じて薬で治療したほうがいい」という話をされました。
父親は閉腹し薬治療を希望しました。
手術後母親が麻酔から目覚めるまで父親と待っていましたが、看護師さんから、今日は目が覚めないかもだし看護師が多いICUというところにいるので安心してほしいこと、何かあったらすぐ連絡するので連絡がつくようにしていてほしいことを言われ、父親と私は一時帰宅しました。
帰りの車で父と話したことは全く覚えていません。当時の私は医師の話を認めたくなかったのでしょう。心ここにあらずでした。
私はそれからなんでか部活に打ち込みました。ひたすら部活漬けになり、ある日外部コーチから病院へ今日は行きなさいと部活後コーチに送ってもらい母親のお見舞いに行きました。母親の現状を知りたくなくて、自分自身で避けていたんだと思います。
病室に入ると母親が笑顔で迎えてくれました。母親に髪の毛をとかしてほしいいわれ、母親がかぶっている帽子を取り髪の毛をとかしました。
髪の毛をとかすと、髪の毛がたくさん抜け、頭皮が見えてきました。「あれ?なんで?」とその時の私はおもいました。そうです。抗がん剤治療が始まっていたのです。私は母に気づかれないように髪の毛をとかしながら涙を流しました。母親は首から点滴をしておりトイレに行きたいから一緒に来てほしいといって点滴台を私に持たせました。母親がしているトイレを見たくないから背を向けていましたが、背後から母親が泣いている声とともに「死にたくないよ。死にたくないよ。どうして私なの?まだ子供の成人式も見てないのにどうして・・・」と何回も言っているのが聞こえました。私も母親に見えないように泣きました。この時の光景はいまだに思い出してしまいます。
ここまで私の母親は疼痛時のお薬を使っていなかったそうで、この時の言葉は母親本人の強い気持ちだったんだなと、私にしか言ってないんだろうなと感じた言葉でした。
そこから私は亡くなるまで母親を支えようと決意し、父親と交互に泊まり込みを始めました。
皆さんこんにちわ☆こんばんわ☆おはようございます☆
本日は第3弾!!!
私は中学2年生になると同時に父親の転勤のため田舎の学校に転校。
そこの学校が地方地域特有というか、地元民の変な団結力が強いところというか。AちゃんはBちゃんといとこだったりBちゃんとCちゃんははとこだったりとなんか親戚絆が強いってイメージがありましたねw
そんな親族の派閥バッチバチのところに大きい都市から私が転校してきたことによりみんなわたしの取り合いでしたが( ^ω^)・・・(←は?)
まぁ田舎だったから転校生が珍しかったのでしょうね><
私はあまり学校の雰囲気になじめませんでしたが、その時に友達になってくれたのが、同人誌が大好きなかわいいヲタクちゃんと勉強できるがり勉子ちゃんでした!卒業まで仲良くしてくれたこの二人にはとても感謝!!!BLを初めて知ったり、勉強ができるように教えてもらったりと私にとってはプラスの部分が大きかったですw
足の手術後ですが、中学3年生の4月までは松葉杖で生活し、病院でリハビリをし、松葉杖から解放されたと同時にすべり症で骨をピン固定していたためピンをとる手術をしましたが、最初大学病院で手術してもらったのですが、地方に引っ越すことになり地方の病院でピン除去術をしたんですよ!その時は下半身麻酔で・・・腰椎麻酔めっちゃ痛かった><泣
無事にピンは取れたのですが、術後細菌感染を起こし再度手術したんですよ><それがね、表面麻酔だけで行ったんですけど麻酔効いてないのに切開されて・・・手術室で大絶叫したのを覚えています。術後に抗生剤も入れられたんですけど頭にかゆみと蕁麻疹がでてナースコール押したのにそこの医者ほんと〇ソで、「抗生剤なので副作用は強いんですよ」だって。看護師の免許持ってる今の私だから言いますけどねアナフィラキシーになって死んでたらどうするんですか?ってその医者責めたいね(# ゚Д゚)殺されなくて済んだ私ですが、1週間後から体力つくりトレーニングを始めました。走り込み、縄跳び、武道の自主練。約2年ぐらい全くしてなかったわけで・・・ほんとにこれは身体的にも精神的にもきつかった。そこから徐々に感覚を取り戻し全体練習へも参加していき、試合でも優秀な成績を収めていき、なんと高校への武道特待が決まったのです。両親はとても喜んでくれましたが、それがまた災難の始まりだったのです。
続く
皆さんこんにちわ☆こんばんわ☆おはようございます☆
私の学生時代その②でございますっ!
中学生になりもちろん部活も今までしていた武道の部活に入部!
小学生時代に収めていた成績が優秀だったため完全に期待の星でした(^_-)-☆(うぬぼれんなっ!(# ゚Д゚))
ですが、先輩方は私に選手の座を奪われ私のことが気に食わなかったのでしょう・・・練習着を濡らされたりお茶に洗剤を入れられたりなど小さいいじめが私を待っていました。
ですがいじめに負けず、練習を行い、優秀な成績を収めていた私に実力主義の顧問の先生は年功序列など関係なく1年生の私を入部後からレギュラーメンバーにしてくださっていました。
いじめに耐え続けた私もやっといじめの主犯の先輩たちが引退となったとき喜びとともにショックな出来事が私を襲ったのです。
もともとけがをよくしていた私ですが、ある日クラスメイトに歩き方がおかしいと指摘され今までと同じ感覚で歩いていたつもりでしたが不思議に思いすぐ母親へ伝えると「いつからそんな歩き方になったの?」といわれ、夜だったのですぐにその時間診療している救急病院へ行きました。
そこで診断されたのは、原因不明ですと。ですが股関節に異常があるのは確かなので大きい病院へ明日行ってくださいと言われました。
次の日母親はなぜか近所の整形外科へ私を連れていきました。そこで、すべり症という病気であること、すべり症は手術しないと完治しないことの説明を受け○○大学病院はすべり症に特化した専門の医者がいるから紹介状を書くのでそこに行ってくださいと言われました。
母親はすぐ父親に電話し父親の提案で別の病院を受診することになりました(セカンドオピニオンですね!)その整形外科②でも同じような診断があり○○大学病院へ行かないといけないといわれたなら僕たちも手術以外の選択はできないといわれてしまいました。
「手術しないと治らないなんて武道の試合もあるし、選抜大会もあるし・・・もーどうするの↓」と母親ぶつくさ言っていたのを思い出します><
次の日、近くの大学病院に母親といきました。
大きな病院だったので診察までに2時間ほど待ち、やっと診察に。
そこですぐに車いすへ乗せられ、今日から入院して手術しましょうという話になってしまったのです。病室へ着きすぐに母親から謝られました。「病院に連れて行くのが遅くなって手術することになってしまってごめんね。お母さんがもっと別な方法探してあげたかったけどもうこの方法しかないみたい。」と。「手術して治ったらまた武道はするし、選手生命が断たれたわけじゃないしがんばるよ!」と私は母親に言いましたが・・(っしゃー!部活休めるぜ!勉強もしなくていいんだ!ゴロゴロもできるしさいこー!)と内心思っていましたw
順調に手術をし、術後も片足は全く床についてはいけなかったため3か月入院しやっと退院できました。その後も半年は足に体重かけてはいけなかったので松葉杖で過ごしました。
その時のリハビリの先生(理学療法士)はすごくイケメンで優しくて私の初恋の人ですw
その先生のおかげで将来理学療法士になりたいと思えるようになりました(ならなかったけどね><w)
退院してすぐ父親の転勤のため転校しましたが、そこで待っていたのは田舎学校特有の変な偏見だったり、自分との戦いのリハビリだったりとまだまだ続きます(^_-)-☆
続く
皆さんこんにちわ☆こんばんわ☆おはようございます☆
今日は私の高校生までの生い立ちをご紹介するよ!(誰も知りたくないやいっw)
幼稚園生の頃はお転婆でなかわいい女の子で・・・w
団地で金属バットを振り回したり、一緒にピアノを習っていた男の子が私よりちょっとピアノがうまいからムカついて鍵盤の蓋を閉めて手をケガさせちゃったりと負けず嫌いな一面があったりと両親はとても大変だったと思います(^_-)-☆(自分の子供だったら泣いちゃうっ!w)
妹ができてから私はなぜだか私立の音楽幼稚園へ編入させられ、幼稚園にいるときはピアノ、太鼓の練習、マーチングの練習、お絵かきの時間は絵画の先生がわざわざ外部から来てくれるというすごいところに通っており、砂場で遊んだ記憶がありません・・・泣
音楽幼稚園の先生もスパルタで1テンポ、1パク間違えると居残り練習やドラムのスティックが飛んでくるとても怖い先生たちばっかりでした><今はもう廃園になったようですが、今となってはいい思い出です!
また私の父は武道の先生であり、七五三などの写真も着物ではなくほとんどが道着でしたw
(道着に髪飾りして、化粧なんてほんとカオス・・・w)
父の教え子たちはとても優秀な成績を収める生徒たちばかりでよくうちで祝勝会が行われており、小さいときはかわいかったので(←は?)お兄さんやお姉さんによく可愛がられていたのと、練習にもよく一緒に行っていたため物心がついた時には私も武道を始めていました。
ただ、母はこの武道をしたことがなかったのと、私に将来CAさんになってほしかったからか、英会話教室や塾、ピアノ教室などたくさん習い事に通わせましたが、どれも長くは続かず。
週に5回の武道の稽古、週3回の英会話教室、週2回の塾、土日は武道の試合などで小学生の私はパンクしてしまい、武道の稽古のみ続けることになりました。
武道の素質があったのか、負けず嫌いが強かったからなのかはわかりませんが多々優秀な成績を収めてきました。
小学生で武道をしている女の子はとても少なく、自然と武道の友達も男の子ばかりになってしまい、学校の友達もなぜか男の子ばかり・・・w
そりゃあ小学5年生ぐらいになると、恋愛のいざこざに巻き込まれひどい目見ましたよ><
女って怖いって初めて知りました><
そんなこんなで小学校も卒業し中学生になりましたが中学生では人生最大の分岐地点に立たされたんです。
続く
皆さん!こんにちわ☆こんばんわ☆おはようございます☆
高校生ぶりに・・・(何年前だよっ!)日記を書き始めることにしました。
今回書き始めようと思ったのは私は看護師という資格を取りお仕事をしていましたが、体調を崩してしまいもう看護師としてお仕事できないのかもな~と思ってるところがありなんでこんなことになったのか、もともとの性格なのか?社会人になって形成された性格なのか?自分自身で考察するため&今までの人生をやり直すことはできないけど失敗したこと、成功したことなどを踏まえて今後の人生に生かしていきたいと考えられるようになったことがきっかけですかね(^_-)-☆
ほぼ自己満・・・になりそうなブログになるかもしれないと思いながらもはじめてみちゃいましたw
まず私の自己紹介からしたいと思います!
名前:MAICHICA(まいちか)
年齢:20代後半かも!
性別:女性
職業:元看護師
病棟はじめいろいろな部署経験あります!(それぞれかじる程度ですが・・・w)
現在はフリーターしてます
趣味:音楽鑑賞・Netfrix鑑賞・ネットサーフィン・暇つぶしゲームなど
九州→四国→関西→関東と徐々に上昇中!
独身ですが、婚約者と同棲中!(あっ!いらない情報か・・・w)
こんな私ですが、できたら毎日更新頑張っていきたいと思ってるのでよろしくお願いしまーすっ(^^♪

