今日は寂しく迎えはあるものの一人ぼっちの退院。
本当なら3人で家に行くはずなのに…


毎日の自宅移動で持って帰ってたから殆ど荷物はありません。
自分の着替えくらいでしょうか。


バースプラン描いたときの書類みて、そういえば貰うものもらってないぞ?と思い
看護師に色々訪ねた。

この紙に書いてある手形足形、臍の緒ケース貰ってないんだけど…
と若い看護師に尋ねると、ちょっと確認してくるね!と言われ待ってたら
ベテラン看護師が来て
「あれ?説明してもらってない?死産の人にはそういうセット物あげられないんだよね。その分分娩費返すようになってるから…」と。
(ただ、臍の緒だけはプラスチックケースにガーゼにくるんでもらえました)

そこで初めて聞かされて、あると思ってた手形足形も貰えなく、病院でやってくれてると思ってたから自分達では手形足形取ってない。
ふざけんなよ!と思った。
確認してないコッチも悪いけど、手足もしっかり新生児同様だったわけだしあるもんだと思い込んでた。
今更何を言ってもダメだし何も考える気力もなくて。



もう彼の肉体はなくなってしまった。
もう触れることが出来なくなってしまってから伝えられても…


どうして教えてくれないのか。

死産は1年に1回あるかないか、臨月死産はここ数年なかった。と言っていたけど今までに本当に前例があったのか?と疑問に思ってしまった。


「臨月死産なんてまずないから!」と軽く言われてマニュアルなんてなかったのかもしれない。

または、私がこの病院での臨月初死産とか?



もし、初めてだとしたらあってはならないことだけどもしも次が出てしまったら私みたいな事はならないようにしてほしいと思いました。

最後の退院前の診察を終え、1ヶ月検診の予約をして少ない荷物を持って病室でた。
病室出たとき普通の母子同様に接してくれた看護師の人偶然会えた為直接お礼言ってあとの人はナースステーション前通過時に全員に対してお礼いって帰りました。

赤ちゃんいたら数人がエレベーターまで送りに来てたのに…
やっぱり、私には来ないのね。

と思ってたらさっき廊下で会った良くしてくれた看護師が走って送りに来てくれた。
「イヤかもしれないけどまた機会があればここで産んでね、元気な赤ちゃんと一緒に会おうね」と言ってくれた。

この言葉だけでもすごく救われた。
もし彼女が居なかったら私はどうなっていただろうか。



家に帰ってきて、玄関に職場から花が届いてました。
すぐ職場にお礼の電話いれて、また全員と話し、最後に院長からは妊娠や出産の報告待ってます!と言われました。



空っぽのベビーベッド、男の子用の洋服、赤ちゃん用に買ったタンス、それだけが残っててまだ信じられなくて。 

産後すぐたくさん動いたか寝てなきゃダメだよ!
と言われるも寝てられない。

未だに胸が張っていたい。カッチカチ。
家での初めてのシャワーの後なんて溢れるように母乳が出る出る。
真新しい哺乳瓶に母乳を。
赤ちゃんが吸ってもないのに、まだ数日なのに…片方で50。両方で100を超えた。
こんなに沢山出て…

元気産まれてたらこの子は完母で育てられたんだなーって。
勿体無い。
次の子も完母だといいな。







ここまで9月11日から今日まで過去のその日の事書いてきました。
4年前、産後半年くらいに書いたものが当時のそのまま非公開のまま残ってました。
それを多少書き換えたり消した部分もあるけどその日の自分に戻りその記憶のまま残したつとりです。
今見返してみても腹立たしい事もあったりしたけど、今となってはそんな事もあったな…と流せるまでになりました。


おそらくもっと書き換えてしまうと文がうまく繋がらなくなってしまうので…




また明日以降も日付はもう関係ないけど綴っていきたいと思います。
お付き合いいただけたらと思います。