厄年に失ったもの。。。Vol.7
手術が終わって2、3日たった朝、担当の先生が様子を診にきました。
『おはょうございます。体調ゎどうですか?』『まだお腹の傷が痛くて真っすぐに立てないです、、、(;_;)』とミソ。
その後の先生との細かい、やり取りや説明ゎ、もぅ覚えていません。。。
その時ミソの耳に残ったのゎ、その中のたった10文字の言葉だけ。。。 いきなり先生がそんなショックな事を言うわけないのでその前後の先生の言葉があったハズだけど、どうしても思い出せないのです。。。
その10文字の言葉を聞いたとたんミソゎ、あまりにもショックが大きすぎて頭が真っ白になり何の言葉も音も受け入れなくなってしまぃ、点滴を引きながら部屋を飛び出してしまいました。。。
不思議とその時だけゎお腹の傷の痛みも感じませんでした。。。
ただただ涙があふれ出て止まりませんでした。。。
廊下の端に、黄色いペンキがハゲかかっている鉄の扉があって、
その扉の向うにある公衆電話のとこに来ました。。。
真っ白な頭の中に唯一頭に思いついたのゎ彼氏Mの事だけでした。。。
とりあえずMの声が聞きたぃそしてMに伝えなくてゎ。。。
『2個卵巣をとった』と言う10文字の事実を。。。
厄年に失ったもの。。。Vol.6
そして6~7時間の大手術が無事??終わり目覚めました。
いっ痛い。。。麻酔が切れお腹の辺りが痛くて痛くてたまらなぃ。。。
顔にゎ酸素マスク、鼻から管、腕にゎ点滴が繋がっている。。。
当たり前ですが、飲み食いできないので、栄養や水分補給と思われる点滴に、痛み止めも一緒に付いていて付属のボタンを押すと痛み止めが体内に入るようになって、痛いときゎ押してくださぃと説明された。
押しても押しても痛みが全く変わらない(>_<)痛い。。。
しかも術中ゎ喉に酸素を送る管が入っていたらしぃので術後ゎ痰がからみやすいらしく、すごく痰が、からむがまだ管だらけで起き上がることが出来なぃし、痰を出そうとすると腹筋を使うので、お腹の傷が痛くて痛くて猛烈に辛い状態だった。。。(涙)だから枕元に痰を出す銀色のトレイとティッシュ置いて顔の真下辺りにごみ箱を置いてもらった。 辛いのゎ夜家族が帰ってしまった後。淋しいのもあるけど、寝ようとしても常に痰がからみ、出そうとするとお腹の痛みが激しくなり一睡も出来なかった。。。(号泣)
でも今思えばこんな傷の痛みなんて、その数日後に知る事実を知った時の心の痛みに比べたら全然ちっぽけな痛みでした。。。
その時事実を知らないのゎミソ一人だけだったのです。。。
厄年に失ったもの。。。Vol.5
ちょうどその時ミソの妹に2人目の子供がお腹にいて、
出産予定日が近くミソが入院する前日に、『おしるし』(お子さんいる方ゎご存じの方多いと思いますが、
赤ちゃんがでてくるょ☆って言う赤ちゃんからの予告)がきました!
なので妹も同時入院することに。。。
別の病院ですが同時入院となり我が家ゎ、パニック状態(*_*)(*_*)(*_*)/
とりあえず妹ゎ無事出産が終わりまして、次ゎミソの卵巣癌の摘出手術です。
当日の朝また点滴のような浣腸をしました。もう出るものなんて何もないょお。。。
両親ゎ10年位前から東京を離れ田舎暮しを始め岩手に住んでいて、
お仕事の関係で父と母ゎ交替で東京に来ることに。
手術当日ゎ一緒に住んでる伯母と岩手から父親が来てくれました。
朝ミソゎブルーの手術着に着替えさせられ、父と伯母と一緒に、
オペ用のグリーンのコスチュームを着た看護士さんに案内され手術室へ。。。
恐くて恐くて仕方ありませんでした。。。
分厚い自動ドアの中に看護士さんと入りました。
そして不安そうで涙を堪えてる父と伯母がドアの外に消えていきました。。。(涙)
恐いけど目が覚めたらすべて終わってるんだし、
頑張ろぅ早く癌が見つかって良かったくらぃ先生に言われたし!!
この時ゎまだ知るよしもありませんでした。
これから、もっともっと辛く悲しぃ事がおこるとゎ。。。
厄年に失ったもの。。。Vol. 4
その後手術の日にちが決まり、
手術の為の色々な検査をするために数日前から入院しました。。。
その為にフリーターでバイトを掛け持ちしていたので仕事をしばらく休ませてもらいました。
癌のレベルゎ2。
卵巣というのゎ細胞を取って悪性か良性かを調べることが出来ないらしく、
摘出するしかないらしぃのです。。。
まず心電図、レントゲン、血液検査、CT等など。。。
まだ自覚症(不正出血やお腹の腫れや痛み)もなく健康な時と変わらないまままなので、
入院初日ゎ常食(食事制限のない患者用)でしたが
プラスチックの食器に並んだ生温く、
薄味の食事を無機質な白いベッドの上で食べたのでした(悲)。
次の日ゎ流動食で液体だけの食事でした。。。
お粥の液体のとこ(重湯!?)、コンソメスープの3倍位水で薄めたような液体と、
昔駄菓子やで売っていた、粉末を水で薄めるジュースのやはり薄めすぎた感じのモノが、
プラスチックのコップ3個トレイにのってました。。。
手術前日ゎ絶食(>_<)そして、下剤と1リットルくらいありそうな
点滴みたいな浣腸でお腹と腸のなかを空っぽにされました。
でもいつか赤ちゃんゎ産めるしちょっとの辛抱だ!
頑張ろぅ
この時ゎまだそう信じて疑いもしませんでした。。。
厄年に失ったもの。。。Vol.3
そして紹介してもらったとこにMRを撮りに行きました。。。
その写真を後日クリニックに持っていくと、やはり1つの卵巣に影があるとの事でした。。。
今度ゎK大学病院を紹介され、その写真と紹介状を持って行き初診の手続きを済ませました。
1時間以上不安な気持ちで待たされたあげく、
先生にやはり手術して摘出しなくてゎいけないと言われました。
これから結婚しようと思っていただけにとてもショックで涙があふれ出てきました。。。
先生の説明によると卵巣ゎ、二つあるので一つあれば将来お子さんゎつくれますし、
お腹をあまり切らないで、小さい傷3ヶ所だけ開けて摘出する方法なので、
傷跡もあまり残りませんから。。
と言われたケド、やはりショックと手術をする恐怖で帰りも涙が止まりませんでした。。。
でも今思えば本当に、それだけで済むならどれだけ良かった事でしょう。。。
厄年に失ったもの。。。Vol,2
2004年からお付き合いを始めて、あと少しで1年になろぅって頃にゎ、なんとなくですがお互ぃに結婚を意識してました(*^_^*)その時ミソ32歳彼氏25歳(以前ブログでも書きましたが厄年カップル)です(*_*)!
ミソが本厄彼氏が後厄の年でした。。。
ウチラ2人にゎすごく大好きな『ラブ&フリ―』という本があって、
同時にその作者の高橋 歩という人に憧れていました☆彡
その作者の様に、結婚して大好きな人と自由気ままに宛てのない旅をして帰ってきて、いつか子供がほしいと思っていました(^-^)
歳も32歳だし子供が出来るかちゃんとお医者さんで診てもらおうと思い、毎年区から届く癌検診をしているレディースクリニックへ行きました。
いつもエコーというのゎやったことがなくその時の先生がエコーというのをやって診たところ、『ちょっと片方の卵巣に気になる影があるのでMRIというのでちゃんと検査したほうがいい』といわれました。。。 これが本当のミソの厄の始まりでした。。。