生徒の学力分布はフタコブラクダ型になっているので、一斉授業をすると、

一番数の少ない層に合わせることになり的外れとなる。

 

 授業にスマホをどんどん使用する。

 

 日本は1998年に成熟社会になった。

正解至上主義社会から、正解至上主義では通用しない時代になった。

情報処理能力から情報編集能力

ジグソーパズル型学力   読み書きそろばんの基礎学力

             頭の回転の速さ

             大量生産

             パターン認識(短絡的思考)

             営業マンが勧めたから保険に入る

             消費者として生きる

 

レゴ型学力        知識を実社会で応用するためのリテラシー

             頭の柔らかさ

             多品種少量→個別主義

             違う見方があるかもしれない(複眼思考)

             自分のリスクを比較研究してデザインする

             編集者として生きる(人生は一冊の本)

 

「一斉授業」というスタイルは現場ではすでに機能不全になっている。

最近の子どもの学力は「落ちこぼれちゃった子」と「もうわかっちゃってる吹きこぼれの子」のフタコブラクダ型になっている。

昔は普通の子が7割いるひと山型だった。真ん中の普通の子に焦点を当てた一斉授業は無意味だ。

いじめや不登校は本来社会問題である。家庭やコミュニティや日本社会全体の歪みが一番噴き出しやすい学校で噴き出したからといって、すべて教員のせいだと学校に責任を押し付けるのはどうかと思う。少子化と核家族化の進行でまず家庭の教育力が下がり、次いで地域社会の後退・衰退によってコミュニティの教育力も下がってしまった現代社会で、学校の先生が踏ん張って負担に耐えて来たという実態がある。ベテラン教員が現場から去り、新卒採用教員の質は応募倍率の低さで落ちているので、今後は否応なく学校の教育力も下がっていく。しかし、学校の支配力はもともと下がり続けている。塾をはじめとする学校以外の私的教育機関の充実やネット上でのYouTube動画の登場、学校外オンライン授業の充実による。今後、ChatGPTなどのAIが社会に実装されて性能や精度が上がってくれば、学校の支配力は益々弱くなる。

小中学校から高校までに先生から直接習ったことは全人生で学んだことを100とした場合、何%か?3割を越えないだろう。

学校の存在感は全教育機関やサービス部門のおよそ2割に過ぎない。

新採教員の学力レベルも下がっている。ある自治体では新採教員の出身大学の偏差値が50を切っている。

 

 さる事情で新学期当初から4月だけの非常勤を引き受けました。

まあ「すきま産業」要員として快諾しましたが、

いざ終わりが近づくとせっかく受け持ったクラスともうお別れかと思うと、

少しだけ寂しい気持ちになります。

まあ、やむを得ないことはわかっているのですが。

まあ、あまり目立つことをするのも

復帰された先生もやりにくいと思うので、

ここはさらっと去っていくのが一番なのでしょう。

 

みなさん、さようなら。