『lovi'n you』





「おかえりなさい」



土曜日の夕方、バイトから帰るとアパートの部屋にウサギがいた


いや、正確に言うと


「…なんだよ、そのでっかいウサギの耳は?』


頭にウサギの耳のカチューシャを付け、白いブラウスに淡いピンクのエプロンというウサギを意識したのであろう格好をした彼女が出迎えてくれて



「今日って何の日か知ってる?」



男が最も恐怖を感じる質問を天使のように愛らしい笑顔で投げかけてきた


「さあ?」


9月の半ばに恋人同士で盛り上がるようなイベントなんて無かったはずだし、俺たちの個人的な記念日みたいなものも思いつかない


「悪い、思い出せない」


「ふふっ、今夜のメニューで分かると思うから座って待ってて」


下手したら怒られるのかと思いきや楽しそうにキッチンに向かう彼女に胸を撫で下ろした


そうして


食卓に出てきたのは


「これって、月見うどん…だろ?」


「正解!」


もしかして


「十五夜?ってやつか」


「ピンポン!ちゃんとお月見団子も買って来たの、今夜は晴れてるから満月が見られそうで良かった」


「ウサギは関係ないんじゃ…」


「えーっ、だって月ではウサギがお餅をついてるっていうし」


もはや、おまえはいくつなんだというツッコミをする気にもなれず


食事を終えて彼女の望み通りに一緒に部屋の窓から満月を眺めていると


「ねぇ、知ってる?昔の作家が英語の『I LOVE YOU』を『月が綺麗ですね』って翻訳したっていうお話」


ようやくウサギの耳を外した彼女が俺の背中に手を回し、胸に顔を埋めて小さな声で話し始めた


「きのう国語の授業で先生が教えてくれたの、昔の日本人は『君を愛してる』なんて言わないからだって」


「へぇ…」


この後の展開次第ではやぶ蛇になりそうな予感がして余計なことは言わずに彼女の髪を撫でながら話の続きを待つ


「ちょっと素敵だと思わない?」


これは


今までただの一度も彼女に直接的な愛の言葉を伝えたことの無い俺に対する願いなのだろうか


彼女に対する想いはいつも態度や行動で表してきたつもりだし理解してくれていると思っていたが、やはり時には言葉で伝えて欲しいのかもしれない


『愛している』と


それでも黙ったままでいる俺の顔を彼女が心配そうに覗き込んだ


「寝ちゃったの?」


「いや…」


「やっぱり興味ないよね、こういうお話」


小さなため息をついて体を離した彼女がもう一度俺の表情を見て吹き出した


「あっ、やだ」


「なんだよ?」


「もしかして、わたしが言って欲しがってると思ったの?」


「違うのか?」


「違うって言ったら嘘になるけど、そんなに困った顔をされるくらいなら言わなくていいよ」


優しく微笑んでそう言った彼女の瞳が少し悲しそうに見えたのは、多分俺自身に罪悪感があるからだろう


「そろそろ帰るね」



結局



満月を見ながら彼女を家まで送って行く間、繋いだ手の温もりだけでお互いの気持ちを探りあい


「じゃあ、またね」


珍しく彼女の方から解かれそうになった手を握り直して華奢な体を引き寄せた


そして


「あい…」


思わず零れ落ちそうになった言葉は


「!」


彼女からの口づけで封じられた


「ちゃんと聞こえてるから、ここで」


そう言って繋いだままの俺の手を彼女は自分の胸元にそっと押し当てた


「馬鹿野郎…」


どちらからともなく再び唇が重ねられ


いつまでも離れようとしないふたつの影を、月明かりが優しく照らしていた





fin


 




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