麻生由美の大分豊後ぶんぶんだより⑧ こわいよう (その1)
夜明げには / まだ間あるのに / 下の橋 /ちゃんがちゃがうまこ見さ出はた人
ほんのぴゃこ / 夜明げががった雲のいろ /ちゃんがちゃがうまこ / 橋渡て来る
(以下略)
宮沢賢治がおくにことばで書いた「ちゃんがちゃがうまこ」の詩はなんと美しいのでしょう。
そこで、大分のことばで書かれた美しい詩はないのかと思い起こしてみますが、寡聞にして知りません。
・・・寡聞にして?
いや、そもそも大分のことばで詩なんか書けないのではないかという悲しい疑念が頭をもたげます。
今回は、「ほとぶ」などの語彙だけでなく、係り結びや動詞の二段活用など、古語の面影を色濃くとどめているにもかかわらず、きわめてみやびならざる豊後ことばのお話です。
わたしは大分県西部の山岳地帯の出身ですが、東部の海に面した大分市の高校に通っていました。
東部と西部では、語彙に大きな違いはないのですが、その、何と言いますか、語勢や終助詞がかなり違っています。
ある日の放課後のことです。
同じ部活の少女たちが私のいる教室をのぞきこんて声をかけました。
太字のところは強く、叩きつけるように発声します。
「あそうさん、あんた、今日、部活出るんかい!」
「え・・・、うん、出る・・・けど。」
出ちゃいけないのかな・・・。
「あたしたちなあ!今日、映画見に行くんで!あんた、行かんのかい!」
「ああぁぁぁ、行きます。行きます!(;’∀’)」
・・・こわいよう。
これは彼女らがわたしを威嚇してむりやり映画館に連れていこうとしているのではありません。
共通語に直せば、このようになります。
「あそうさん、あなた、今日部活に出るの?」
「私たち、今日、映画を見に行くのよ。あなたは行かないの?」
穏やかに親切に誘ってくれているのです。でも、こわいんです。
ちなみに「映画」はライアン&テイタム・オニール父子主演の「ペーパー・ムーン」でした。
時は流れ、大分市には立派な能楽堂が建ちました。そこでは能狂言だけでなくいろんな伝統芸能が演じられ、茶会が開かれたりもします。
その休憩時間には友禅や紬の着物をいとも優雅に着こなした女性たちの方からこんな会話が聞こえてきます。
「あんなあ!今度な、大分に萬斎さんが来るんで!」
「ほうかい!狂言の衣装も洒落ちょるけど、やっぱ、能衣装がいちばん美しいわなあ!」
ううう・・・。
大分(東部)ことばには、話し手の感情や意図とはほぼ無関係に、聞き手を圧倒する衝撃波のような力があります。
どっちも東部人同士の場合にはおおむね大丈夫なのですが、はたから聞いているとけんかをしているように聞こえることがあります。
わたしのような西部の内陸出身者が聞き手の場合、東部ことばの衝撃がボディーブローのように効いてきてへろへろと委縮してしまうか、逆に「なにおう!無礼者!」と椅子を蹴って立ち上がりたくなるか、どちらかになります。
父母も祖父母も西部の山中から大分市の学校に入って、東部ことばのインパクトにぐったりした体験を語っていましたので、わたしだけの思い込みではないと思います。
一方、東部の人に言わせると西部のことばはぬるくて間抜けな感じがするらしいんですが。
この十年を振り返ると、いくつもの病院に入院して何人ものお医者さんや看護師さんのお世話になりました。
なんとかこの世に戻って来られたのはこの人たちのおかげだなあとしみじみ思います。
思い出してくすっと笑ってしまうのは、頼もしい古参の看護師さんの中に大分東部方言のしっかりした継承者がいらっしゃったことです。
「あの~、すみません。点滴、痛いんですけど。」
「なあにぃ?!痛てえぇ~?!」
と、看護師さんは留置針のあたりを確認します。
「ああ、これなあ!こん、刺したとこがぷうーっち膨れちょらんき、大丈夫じゃわあ!」
・・・「わあ!」と言われても・・・。
大分市の隣、別府市に「名医」と評判のお医者さんがいました。
どれくらい名医かというと、さるやんごとない方面の方がお忍びで治療においでになったことがあるとかなかったとか・・・。
真偽はともかく、その病院は「あそこで診てもらえば治るかも。」という切なる願いの患者さんが県外からもたくさんやってくるところです。
うちの妹がそこに入院していたときのことです。
隣のベッドの、鹿児島からやってきた患者さんが、さめざめと泣いています。
「どうなさいました?」
「わたし、・・・わたし、あの・・・看護師さんのことばが、こわくて、こわくて・・・。」
大分県西部出身の妹はどういう事態なのかすぐに察知しました。
「ああ、そうですねえ。(-_-;) わかります。でも、あれが普通のことばなんで、別に悪気はないんですよ」
「そんなこと、分かっています!悪気なんかあったらたまりませんよ!でも、こんな、体の弱っているときに、あんな、・・・あんな強烈なことばを浴びせられたら、もう、もう・・・。」
と、その人は布団のうえに泣き伏してしまったそうです。
戦国時代も西南戦争でも大分はやられっぱなしだったので、わたしには、鹿児島の人はむちゃくちゃ強いんだろうという偏見があります。
「ちぇすとぉ!」とか、猿叫一声の示現流とか・・・こわいじゃないですか。
そんな強い人がいっぱいいるところから来た人を、豊後ことばなんぞが泣かせちゃうの?
大分東部方言が医療現場に最適な言語ではないことは確かなようです。
とがめたり、けなしたり、叱りつけたりするとき、大分ことばは生き生きと躍動します。
危ない運転をされてひやっとした時、わたしも東部ことばでののしっています。
「なんな!なんな!あんた何キロ出しよんな!そきぃ、80ち書いちゃるじゃろうが!」
「あぶね、あぶねっちゃ!左から抜いたらわりいんで!」
こういう場合、共通語や西部ことばではだめです。
私の大好きなTVの広告にこんなのがありました。
車の運転中、とわかる簡単なセットの中で、おじさんが怒っています。
「あーっ!また渋滞じゃあ!なし、こげえ車が多いんか!」
そこへ後方から自転車に乗ったカッパが(大分の地方放送のキャラクターはなぜかカッパが多いです。)やってきて、追い抜きざまに叩きつけるように叱ります。
「あんたん車も、車んうちじゃあ!」
おじさんは、はっとしてわが身を省みます。
そして次の場面ではおじさんとカッパが仲良くバスの座席に並んで座っていて、「バスを利用しましょう。」の文字が流れます。
不思議なことにわたしは、おじさんやカッパをとても愛らしいものに感じます。
また放送してくれないかな。
「フランス語は愛を語るのに、スペイン語は神と語るのにふさわしい。」などと言うそうですが、大分ことばは、人を非難するのにふさわしい・・・でしょうか。
このままではこのサイトを見た大分県ゆかりの人に「なんな!」と叱られてしまいそうなので、次回は、こわくてもあったかハートのお話をしたいと思います。
サンチャゴの鐘は遠き日耶蘇の鐘納戸のやうな豊後に響りぬ
川野里子『王者の道』
*おわび:「ぶんぶんだより⑥」で「おだちーず」とご紹介した音楽ユニットですが、正しくは「おだつセッション」でした。訂正してお詫びいたします。ああ、フエゴ島まで偽りの情報を発信してしまった・・・。
麻生由美
大分県出身 1978年まひる野入会
歌集『水神』(2016年/砂子屋書房)
次週予告
12/28(金) 12:00更新 山川藍のまえあし!絵日記帖⑦
お楽しみに!