まひる野歌人ノート④篠原律子
篠原律子は「作品Ⅰ」に所属している高知県在住の歌人。
十字架を胸より我は外したり九十歳が私を生きる
わが霊に農夫が一人棲みはじめ召天の日の開墾をする
壺を焼き絵を描き木を彫り歌詠むは我の命のあそびにありし
わが一生手紙に書きて門の戸に貼りて盗人来なくなりたり
作者がどういう人物なのかがわかるような歌を、まずは選んだ。
キリスト教を信仰しているらしい。十字架を胸から外すという表現がなにを意味しているのかわかりづらいが、解放感があり晴ればれとしている。「九十歳が私を生きる」という言い回しは抽象的だが、スケールの大きさと堂々とした態度に惹かれる。
二首目、「霊」というのはキリスト教の用語で「魂」のようなものらしい。九十という年齢に達した魂に「農夫」が棲んで「召天の日の開墾をする」。歌会で盛り上がりそうな歌だ。篠原の歌には人生の終わりを見据えたものが多いが、決して暗くはならない。特にこの歌は突き抜けている。「開墾」の先には「未来」しかないではないか。
三首目に詠まれている高知の山中での暮らしぶりは、篠原が繰り返し詠んでいるもののひとつ。陶芸をしたり絵を描いたりすることを、人は「趣味」と呼んだりもするが、これを「命のあそび」と呼んで憚らない。ここにも、篠原の器の大きさのようなものを感じる。
四首目は代表歌として推したい歌。なんとなくだが、この手紙はどろぼう対策というよりもどろぼうへの挨拶として書かれたもののような気がする。あれ? どろぼう、来なくなってしまったなあ、というとぼけた呟きが聞こえるようだ。天然の力に支えられている、他の人には書けそうで書けない一首だと思う。
篠原の歌の主な題材は、老いてもうじき天に召される自分自身だ。個人的に、年を重ねれば重ねるほど、歌のなかの「私」の濃度は薄まっていき、社会と「私」が一体化していくと考えているが、篠原の場合はそうではない。むしろ「私」しかない。いや、最後に残ったものが「私」だったと言うべきか。
ひたすらに「私」を見つめ、「私」を考え、「私」を詠む。
生かされて今日もこの世にゐる我を鏡の前を通る時見る
いぢめする人を神とし生きし我晩年一人一宇宙する
たまらなく寂しき日には山家にて我は心の鳥を鳴かせる
幾人の我ひき連れて生くるなり老いた体一人で無くなる
死者たちが時々我にあらはるる心の中に扉がありて
かくれんぼ我は毎日生きてをりまもなく鬼が見付けてくれる
鏡の前を通るときに思わず自分の姿を見てしまうのは行動として理解できるが、これは意識して見ている。しかし立ち止まるわけではない。歩きながら見て、通り過ぎている。この確認と認識が不可解だが、
その微妙さがやけにリアルだ。視界から消えたかと思うと、もうキャッチャーミットに収まっている魔球のように、読者を完全に置いてけぼりにする下句だ。
「一人一宇宙する」とは、キリスト教用語なのだろうか。初句からぐいぐい引っ張ってスケール大きく歌い納める。口を挟む隙を与えない、勢いのある一首だ。ちなみに「(名詞)をする」という結句は、他にも<一生が終りとならむわが体心が金の夕焼けをする><十字架を胸より外す日々にゐてわが全身が十字架をする>といった歌にも見られ、篠原の歌の特徴のひとつである。
三首目。誰にでも、心の痛みや孤独をひとりで乗り越えなければならないときがある。篠原の心のなかには、鳥が棲むうつくしい山があるのだろう。山の中の家、家の中の私、私の心の中の鳥、と、対象がどんどん小さくなっていくことに妙な安らぎを覚える。
「幾人の我」とは、これまでの記憶や想い出といっていいかもしれない。注目は「一人で無くなる」だ。つまり、それまでは一人だったが、もう一人ではないのだ。なんて頼もしく、あたたかいことだろう。人生の歴史を重ねた末の発見である。
篠原の心の中には鳥も棲んでいるが、死者たち(ここで言う「死者」には、亡くなった家族や友人はもちろん、世界中の死者たちも含まれそうだ)がやってくる扉もある。「扉」はこちらとあちらを自由に行き来するためのものだ。ドアノブを回し、扉をあけてこちらを訪ねてくるなんて、行儀のいい死者たちだ。こちらとあちらはお隣同士で、扉を開ければすぐに行けるという認識は、さびしくもあり、平和的でもある。
六首目、ここで言う「鬼」はまぎれもなく「死」(キリスト教としては「召天」と言ったほうがいいのだろうか)のことだが、それに対して「見つけてくれる」と表現する。「かくれんぼ」は鬼に捕まることが大前提の遊びだ。長いかくれんぼの後、鬼と肩を並べて、人はどこへ行くのだろう。
亡父の声亡母の声してこほろぎが今年も山に鳴きはじめたり
手の平は他界の地図でちちははが暮らせる村と町があるなり
心の扉すべてを開けてひとり棲む最晩年は母の胎内
死の分娩われの体にはじまりて納札なる歌を詠むなり
この四首は、歌会ではもしかしたらあまり評価が高くないかもしれない。一首目のように、亡くなった家族が昆虫や鳥になって季節を報せるという歌はよくあるし、二首目は発想が突飛だと指摘する人もいるだろう。三首目の結句「母の胎内」も初句の「心の扉すべてを開けて」とうまく繋がっていないように思える。四首目は「死の分娩」という表現がヴィヴィッドで目を引くが、抽象的すぎてよくわからない。
「盗人来なくなりたり」の歌でもふれたが、篠原の歌の魅力は、洗練された技術というよりも、天然の勢いで言葉が自由に繰り出される点にある。この四首も、自らの気持ちを短歌定型に「えいやっ!」とのせていったのだと思う。玄人の歌人にとっては、きっと穴ぼこだらけの歌に見えるだろう。
しかし、私はこれらの歌にたいへん興味を引かれる。
「こほろぎ」の歌は、ふつうならもっとあたたかい歌になりそうだが、「亡父」「亡母」の「亡」の字や、「こほろぎ」をチョイスしたことでなんとなく不穏な感じが漂って好きだ。すずむしとか雀よりよっぽど面白い。
<手の平は他界の地図でちちははが暮らせる村と町があるなり>これも消える魔球系の歌。自由すぎる発想へのついていけなさが心地良い。
「母の胎内」「死の分娩」もこの言葉が使いたいだけなのでは?と思わなくもないが、「ひとり棲む」や「納札」(お遍路さんが四国八十八か所を回るときに、お寺へ納める札だそうです)が一首の重しとして効いていてスルーできない。
篠原の歌を読んでいると、細かい理解とか、他人の評価とかがどうでもよくなってくる。
もっと自由に、自分の詠みたいものをやりたい放題に詠めばいい、表現とは本来そういうものなのだと勇気づけられる。言葉で言い表すことのできないエネルギーで突き抜けていく歌を、私が求めているからなのかもしれないが。
篠原にはもっと長生きして、もっともっと自由奔放な歌を詠んで、私たちをびっくりさせてほしい。
ふしあはせに生きたる我が長寿して山家に山のいきものを飼ふ
追伸の手紙の如く人生の残りし部分生きつぎにけり
我老いてこの世を去るが近づけりすべての歌が死の乳母車
*文中の歌はすべて過去四年間の「まひる野」本誌から引用しました。
(北山あさひ)
次週予告
11/23(金)12:00更新 山川藍のまえあし!絵日記帖⑥
お楽しみに!