麻生由美の大分豊後ぶんぶんだより⑥ ”おだづでねえ”

 

もう、ずいぶん前の「まひる野」の全国大会でのことです。

結社の代表を窪田章一郎先生が務めておいでのころです。

恒例の記念撮影をするとき、隅っこに隠れようとするわたしを、福井県の会員の方が

「しぇんしぇいのねき(先生のそば)に行って座りなさい。」と促してくださいました。

わたしは魂消えました。それって、完全に豊後ことばではないですか。

「えっ、今なんとおっしゃいました!?」

「あそうさん、それは失礼よ。」

横で聞いていた年配の方にたしなめられました。

「あっ、いえ、すみません。大分のことばとまるきり一緒だったので驚いて・・・。」

「方言というのは古い言葉が地方に残ったものが多いのよ。方言古語説っていうでしょう。」

ええ、そりゃ分かってますけど、海山隔てた若狭のくにの人から実際に「しぇんしぇいのねき」を聞くとやはり驚いてしまいます。

 

こんなこともありました。

備中吹屋を訪ねたとき、農産物直売所にそれは見事なまるまるとした黒豆が売られているのを見ました。

以前津山で食べたおいしい黒豆ご飯を思い出し、直売所のおばあさんに尋ねました。

「これ、黒豆ご飯にできますか?」

「はい、()してな。」

へっ!?

「浙す(水に浸す)」は『広辞苑』に載っていますから、まるきり古語というわけではないようですが、わたしは東京で耳にしたことはないし、浅学のためか文章中にも見たことがありません。

うちのあたりでは「ゆうべから浙しちょったき、もう、ほとびちょる。(ゆうべから水につけておいたから、

もう、ふやけてる。)」のように使います。

 

※ちなみにですが、わたしは高校生のとき、いとみやびなる『伊勢物語』「東下り」の段、「(かれ)(いひ)のうへに涙落としてほとびにけり。」の中にいとみやびならざる豊後ことばの語彙を見つけて、なんじゃこれー!

と笑いました。

わが豊後ことばが多くの古語を蓄えておきながら、いかにみやびならざる言語であるかは、別の回にて詳しくお話ししたいと思います。

 

備中は西国ですし、豊後とは瀬戸内海でつながっていますので、共通点が多くても、そう驚くことではないのかもしれません。驚くべきはもっともっと思いきり遠くはなれた地方で 「方言周圏論」のモデルみたいな事象を見聞きすることです。

ある日、漫然とテレビを見ておりますと、東北の地方局制作と思われる学園ドラマが放送されておりました。複数のこわい上級生がいたいけな下級生を取り囲んでみちのくことばで威嚇しております。

「おだづでねえ。」

え、え、えっ?

いま、この子たち「おだつ」って言ったよね?

「おだつ」。

それはわたしたち豊後の住人のことばでもあります。

大分豊後の山の中の中学校では、どこからか次のような言葉が聞こえてきたら、下級生は急いで辺りを見回し、自分に向かって言われたのではないことを確認しなければなりませんでした。

「おだっちょおん!(態度がでかいぞお!)」

「おだつな!(いい気になるな!)」

最悪の場合、講堂の裏(体育館はありませんでした)に呼び出されてこわい目にあうことが想定されたからです。

使われる状況も東北の学園ドラマと一緒ですねえ・・・。

かりにドラマの舞台が仙台だとすると、「おだづ」と「おだつ」には道のりにして1,400kmの隔たりがあります。

ドラマの子どもたちがほんとうに「おだづ」と言ったのか、次の「まひる野」全国大会のおりに仙台支部の皆さんに確かめてみました。

皆さんはちょっと表情を曇らせて顔を見合わせ、「おだづは・・・そういうときに使いますけど・・・あんまり、いい言葉じゃないなあ。」と答えてくれました。

やっぱり! わたしは推察しました。

 

【かつて自動詞「おだつ」は他動詞「おだてる」と対になる単語として広く用いられていたが、列島の中ほどでは「勝手にそのような状態になる」という自動詞の方は忘れられてゆき、両端の九州や北日本に残ったのではないか。】

 

そこで五(四)段活用の自動詞「おだつ」を『日本国語大辞典』で確認することにしました。

あれ・・・? な、ない!

下一(二)段活用の他動詞としての「おだつ」なら載っています。

これは口語の「おだてる」、豊後ことばの「おだつる」のことです。

柱と頼んでいる『日本国語大辞典』に無視されて、わたしは大いにめげました。

でも、ずいぶん異なる二つの方言グループの文脈の中で、同じ意味で使用されているのだから、「あおられなくても勝手に舞い上がる」という意味の「おだつ」はかつて列島に遍在していたに違いない!

辞書にないのは、自動詞「おだつ」の用例が記載された文献がなかったからですよ、きっと。

大分県と宮城県の話し言葉にあることは確実です。もう少し分布を知りたい。

でも大きな図書館に行ったり専門家に質問したりする時間はない。

悩んでいると、「まひる野ブログ」の仲間・北山川さんがツイッターで調査してくれました。

 

 

アンケート結果 → ある 22%

             ない 78%   (投票総数:169)

 

アンケート結果 → 四国・中国 4%

             関東・甲信越 8%

             関西 4%

             その他 84%(福島1、岩手3、北海道8)  (投票総数:25)

 

 

やはり、東北地方(なぜか太平洋側)と、東北の人たち人がおおぜい入植した北海道にありますね。

「おだつ」も「ブラキストン・ライン」を越えたのです。

はるか東の釧路のかたから「ある」と回答をいただいたのが感動でした。

4%というのは1人ですが、たった1人で方言が維持できるわけはないので、その地域にも相当数の「おだつ」使用者がいらっしゃるものと思われます。

九州を選択肢にしなかったのは、自分とこがそうだから周りもおそらくそうだろうという安易な想定です。(でも鹿児島市の人は知らんと言っていた・・・。)

『おだつ考』という論文が書けるほど厳密な調査ではありませんが、これは「おだつはかつて遍在していた」という仮説を立てるには十分でないでしょうか。

うれしい!

アンケートにご協力くださった各地の皆さまと、SNSがこわいぶんぶんに代わって調べてくださった北山川さんに厚く御礼申し上げます。<(_ _)>

 

さて、仙台支部の皆さんが顔を曇らせたのは、人を批判したり、威嚇したり、牽制したりと、パワハラの言葉として用いられることが多いからだと思います。

それは大分でも同じですが、ほかにも用法があります。

子どもが興奮してきゃっきゃっとはしゃいだり駆けまわったりする状態も「おだつ」です。

大分市には「おだちーず」というアマチュアバンドがあるそうです。

「おれたちゃなんぼでんおだっちゃるぞ、それがどしたっつか!?(俺たちはいくらでも勝手に舞い上がってやるぞ、それがどうしたってんだ!)」という不逞なパワーが感じられて、いいです。

お祭りなんかでも若い衆が「おだた」なかったら盛り上がりませんよね。

不当な「おだつな~」には委縮せず、「おだつ」べきときにはどんどん「おだち」たいと思います。

もちろん、決して「おだっ」ちゃいけないときもありますね。

誰かに対して自分が圧倒的に優位にあるときなんかは特に。

 

 

 

   敗北はあるひは罪かブラキストン・ラインこえきし祖父を超すべし

                                      時田則雄 『北方論』

 

 

麻生由美

大分県出身 1978年まひる野入会

歌集『水神』(2016年/砂子屋書房)

 

 

 

ハロウィンおばけハロウィン

 

次週予告

10/26(金) 12:00 まひる野インフォメーション

※11/2、9 はお休みをいただきます。  

  次回の「まひる野歌人ノート」は11/16更新予定です。