作品Ⅰ
柚子一個黄のかがやきを置きたれば仏壇不意に奥を深くす 橋本喜典
黒ずめる消しゴムを指に擦(こす)りゐて次の一行を書き出さむとす 篠 弘
この部屋のどこかにあるに違いない電話の子器を探しあぐねる 小林峯夫
雨に散りしくれないを掃く石段のいずこかしるく柚子の香のする 大下一真
屈託は晴れむともせず小寒のベランダに降る光(かげ)浴びながら 島田修三
一本の木に一体の御ほとけのいますと春の日が差す林 柳宣弘
冬眠の熊と蛙の寝息など思ひ比べてをれば酔ひゐる 中根誠
今年見る最後とならむ庭の蜘蛛みづから編みたる網を動かず 柴田典昭
開く目に光の束として見えて午睡ののちの階段の柵 今井恵子
仏壇のつらなる通りどの店も燦めく黄金のお浄土がある 曽我玲子
まひる野集
家に待つ誰もなき夜の幸福感よなよなエール買へばなほさら 広坂早苗
千人が籠城すとぞ記されたるわははそんなに居る場所はない 麻生由美
くれなゐの山茶花を椿と答へたる男を信ず真顔にありき 久我久美子
マチエール
ロマンチック・ラブ・イデオロギー吹雪から猛吹雪になるところがきれい 北山あさひ
この部屋でひとりでも日々産み出せる個体のような静電気あり 山川藍
通行人Bのようなるわたしにも職場に続くあの曲がり角 小原和
十七人集(作品Ⅱ)
しばらくの雪の晴れ間をひたすらにスコツプ動かす女の力 横川操
四千年の前から夕暮れ寂しくてエルサレムの人ら皆寡黙なり 大本あきら
あら草にからむ野薔薇の実の見えて電車しづかに駅に入りゆく 稲村光子
三月集(作品Ⅲ)
産むまでは泣かぬと決めた陣痛の間際に夫がぽろぽろと泣く 池田郁里
野良猫の今までをりし枯草を温みとともに土へとかへす 石塚令子
レジの人「大丈夫ですよゆつくりで」やがてゆつくり出で来し財布 末永恵子