月がでた雲からでたとまたしても呼ばれて暗い隣室へゆく 橋本喜典
肉筆の遺れる原稿のデジタル化うつたふる人らありて学びき 篠 弘
お彼岸を忘れずに咲く彼岸花 彼岸のことを忘れていたに 小林峯夫
じじばかと笑わば笑えじじばかに抱かれて育つ心あるべし 大下一真
玄関の鍵ひとつ解きふたつ解き俺を置くかなや屋内(やぬち)のしじまに 島田修三
夕顔を連れ出す場面で牛車とは今のポルシェと教へたらしい 柳宣弘
懐かしき空襲警報の迫力がJアラートに足りぬ気がする 中根誠
をりをりに滝見むとする念ひ沸くこころの片隅砕けむとして 柴田典昭
鉛筆を削るナイフを机に置いて唐突にわれは口笛を吹く 今井恵子
B29よりあの日爆撃せし兵か杖つきながら道わたりくる 曽我玲子
蚊を叩き腕に残りし血を拭ふ蚊のなかを通り戻りきたる血 大石敏夫
間をおかず来てねと言いぬモルヒネを増やしながらのけふの元気に 大内德子
蜆汁の湯気の向かふに姉の貌けぢめなくして残り世を生く 大野景子
社会の中の自分ではなく自分の中の社会よといふ母は笑ひて 大林明彦
好物の水羊かんと腰痛にきくバンテリン供へ合掌 関まち子