まひる野の編集室は、鎌倉瑞泉寺です。

月末に集められた歌稿は、選者を経由して次の月末に編集室に戻ってきます。

評論やその他原稿も揃えられ、毎月末の土曜日にページの割り付けなどが行われます。







大下さんちには長い階段があります。

新緑が美しい。






表具屋さんから戻ってきたばかりという先師章一郎の軸が。

お花は、あやめでしょうか、アイリスでしょうか、杜若でしょうか、花菖蒲でしょうか、いちはつでしょうか。






歌集『硝子戸の外』収録の昭和46年「北方空路」のなかの一首ですね。

「第一回ヨーロッパ短歌の旅」団長としてヨーロッパへ渡る途中の空路を詠んでいます。

アリューシャン→アラスカ→アンカレッジ→北極洋上空→グリーンランド→アイスランド→ヒースロー空港の間に65首の歌を残しています。さすが団長。


この歌は内の「北極洋上空」13首の3首目に置かれていますが、

上空から見る一面の流氷を「果なき碧(みどり)に」と表し、景の大きさと情感を伝えます。


旅の往路の歌ですから、新鮮な驚きとワクワク感があるのですが、一方でなんとなく寂しさや虚しさが感じられます。


『硝子戸の外』は昭和40年から46年までの歌を収めた第6歌集ですが、章一郎は父空穂を昭和42年に亡くしています。

また、章一郎は弟の茂二郎をシベリア抑留で亡くしており、北方からくる春の流氷にはなにか思うところがあったと思われます。流氷がまさに漂いはじめる場面に、そのことが心をよぎったのかもしれません。


時代はベトナム戦争の最中、歌集名の『硝子戸の外』は、硝子戸の中にいる自分であっても外の世界に目をやり、知り、「現代に生きてゆく力をみすからの短歌に獲得」しようという気持ちからきていると章一郎はあとがきで語っています。

そんな生き方のようなものが一首ににじむ歌ではないでしょうか。



実は章一郎さんは、その時代の方にしては悪筆の部類に入ったらしく、特に走り書きした黒板の字は読みにくかった!と聞いたことがあるのですが、「こうやってきちんと表具にするといいわねえ・・・」とは古くからの会員の方の言葉。


さて、話が長くなりました。





こんな感じでページ付けなどがさくさくっと終わります。


一冊分の原稿は、ひとつの袋にまとめられて印刷所へ送られます。

翌月の半ばから校正など最終チェックなどを経て、月初めに会員の手元に届けられます。


編集その他はボランティアですが、瑞泉寺ではお抹茶が出ました。

塩風味のどら焼き、おいしゅうございました・・・。





あと、晩春の緑の中をうぐいすが鳴いていて、うっかり成仏しそうになりました。







お庭。