作品Ⅰ
彫りくれしひとに似通ふ観世音ガラス戸棚に俯きいます 橋本喜典
ときめける刹那に遇へる古書街に晩年といふ時のゆたかさ 篠 弘
母親の幼な児叱る声聞こえ春の風吹く負けるな幼な 小林峯夫
つつがなく葬儀の終わり子らの去り夫婦二人の秋の夕暮れ 大下一真
赤飯が恋しくなりて赤飯と独りつぶやきウェルテルのごとし 島田修三
校舎裏の馬丁葉椎(マテバシイ)の木屋上に達するまではそりやあいろいろ 柳宣宏
ごしごしと床をこするは我にあらずわれの眉間の怒りがこする 井野佐登
音盤に針を下して聴く曲のオイゲン・ヨッフムはるかなる春 中根 誠
猫の来て池に水飲む時の間を冬ざれの庭に日溜り生まる 柴田典昭
現し世の流れに運ばれ来たる身をホームに折りて屈み込むあり 今井恵子
青色のシートに隠され家屋消ゆ人のさみしさは人がつくりし 松浦ヤス子
病廊の果ての鏡の奥処より傾ぎて歩む老女出でくる 曽我玲子
その使命を終へたるものの静けさに柊の小花庭に散り敷く 橋本 忠
昆布はもう引き上げようかささやかなことにもあらむ潮時というは 小林信子
足音を聞きて野菜の育つと言い母の通いし段だん畑 佐々木絹江
好まぬ絵なれど細かく心込め描かれ居りてそれに押さるる 佐藤鳥見子
ATM苦手の人の多くありて同級会は落語のようなり 片倉敏子
宝くじに心は動くお金にて解ける難題抱へてあれば 軍司良一
語尾高き声にサーブを打ちにける亡き人のこゑわれを支ふる 岩佐恒子
怖いほど静かな夜をひとりしてみかんの皮を積みあげている 三宅昭久
「院長はしばらく休診します」との貼紙出され町内どよめく 熊井美芽
もう一度してみたきこと階段を一段飛ばして駈け上がること 関本喜代子
潔くこの世にさらばせし妻かその影引きて生くるほかなし すずきいさむ
どうにでもよき事ときに思ひ出す古びし父が卒塔婆の処分 大野景子