マチエール
マグリット、あなた世界が張りぼてに見えていたのね。さくら綻ぶ 富田睦子
折りやすき投票用紙誰ひとりぼくに触れざる春を折りたり 染野太朗
初めてのランドセルを背負う日に葉桜は泣く傘にかくれて 木部海帆
背後よりサイレン呻きわたくしを一瞬赤く染めて過ぎたり 宮田知子
洗礼名マリアマグダレナ 祖母(おおはは)を葬(ほふ)りてうつつの幕屋に帰る 佐藤華保理
タクシーを停めるてのひら春の夜にひらり浮かびて花びらのよう 後藤由紀恵
文鳥はおやつ鳩ならおべんとう猫のピクニックを企画する 山川藍
あと三日で賞味期限の切れるもちを母は袋ごと抱きしめている 加藤陽平
病みし子がけものに近きかおを上げ風の匂いを聴き取っている 伊藤いずみ
子を持たぬ友よりあなたは幸せと言われ比べるきたないわたし 小瀬川喜井
たっぷりとミモザを抱いて私(わたくし)はあたしへの贄 雪とけている 北山あさひ
妻と子の声消えゆきてうちつけにかさりと響くシリカゲルの玉 大谷宥秀
水玉の傘よそなたの持ち主は受かって浮かれて濡れて帰った 倉田政美
春の日のめだかのように腸管はシャーレの中でまだ生きている 小原和
指先の月があんまり小さくて銀河の果てまで押してゆけそう 荒川梢
作品Ⅱ(人集)
古書街に大戦の記録並びゐて固くつぼめる九段のさくら 庄野史子
菜園に朽ちたる野菜ころがれり飢えたる子らのあばら骨思う 西野玲子
死顔の頬に触れなばひそやかにてのひらあたためくるる母かな 伊藤恵美子
ただ生きて妻子の顔もわからぬとう悲しきことのわれにもくるか 佐々木剛輔
果物をさせばすぐ来る小鳥なり我の生活見てゐる嬉し 坂田千枝
一つ残る蓋にひび入る蒸し碗の藍ふかければなほ捨てがたし 上野幸子
文旦の種の多さに笑ひつつ百粒ならべ写真撮る友 相原ひろ子
春となる風吹く宵を香りたちマーマレードはくつくつと煮ゆ 山口真澄
作品Ⅲ(月集)
川に沿ひ雪降りしきりなだらかな起伏に見ゆる雪の濃淡 森暁香
親友に会わずに妻の隠る部屋目玉の動く面が棲みいる 仲沢照美
持てる田を他人(ひと)に預ける家多くあづかる人は古稀を過ぎたる 久下沼満男
駐輪場に置かれしままの自転車は老いゆくように赤錆の増す 山家節
やっと来た息子を墓石は無口だった母ちゃんのように黙って迎える 海老原博行
おっぱいとにこやかな顔で口にするわれはすっぽり母を纏いぬ 浅井美也子