まひる野誌に12月から創刊当時を振り返るコラム「まひる野今昔物語」が掲載されています。
案外知られていないのですが、まひる野は終戦直後の1946年3月に、窪田章一郎のもとで勉強していた早稲田大学の学生による同人誌的な誕生をしています。
(その後あっという間に会員を増やし、かなり早期に早稲田大学と関係なくなりました。〉
戦後70年、創刊当時一番若かったメンバーも90歳前後となり当時を知る人は少なくなりましたが、
その貴重な一人から校正室で拝見させてもらったまひる野創刊号がこちらです。
表紙の写真の上部に「槻の木」誌があります。
(これはさすがにコピーです。〉
「槻の木」はまひる野と同じく早稲田大学母体で結成された空穂系結社です。
まひる野の伯父さんのような存在です。
実は、「まひる野」の実質的な創刊号は、この「槻の木」の名前を借りて発行されました。
戦時中に槻の木が休刊になっていたため、名前を借りて創刊したのです。
発行年月日は昭和20年7月1日。
どうやって紙を手に入れたのでしょうか・・・。
第二号は昭和20年12月14日。
ここまでは、ガリ版でした。
明けて21年、「槻の木」の復刊により名前を「まひる野」とします。
同時に活版印刷となります。
「まひる野今昔物語(一)」によると、〈極度に物資の乏しい時代と言ったが、紙は配給(文部省に申請)、印刷所は東京に見つからないので会員が多くいた信州諏訪(南信日日新聞社)に頼った。〉とあります。
信州にはちょっと前まで空穂が疎開していたので、会員が多かったのでしょうね。
土岐善麿が紙の配給を担当していたのでわりと優遇されていたとか、
メンバーの横山三樹と武川忠一がリュックサックに紙を入れて超満員の列車で諏訪まで紙を運んだとか。
色々なエピソードが生まれつつ、1946年3月20日、まひる野は創刊されました。うーん、70年・・・。