マチエール
かきいだく鞄の底に冷えてゆくしろがねのあり蛇かもしれず /後藤由紀恵
僅かずつ傷つき蜜柑が黴びてゆく黴びた部分を切れば滴る /富田睦子
水きりの豆腐みたいだ 網の目を少しはみ出すわれの自意識 /佐藤華保理
頬、睫毛、唇、額、鼻梁、耳朶(じだ)きもちわるいな見る者われは /染野太朗
あのふたり帰りゾンビに喰われるなスタバの椅子は足が着かない /山川藍
やけ酒をあおるに勇気が要るような四十五歳はつまらぬ大人 /宮田知子
AVの中エアコンが開きおりなぜか冷房とわれは思いぬ /加藤陽平
半身に左右のあるをさびしみて人は抱きあふならひを得しか /田口綾子
曇り窓を拭って街を見る、曇る、拭う 戦争になるのかな /北山あさひ
消えぬ廃墟はあれども風が心地よく流れるを知る笛吹くときに /立花開
新しき美容室に行き山の手のマダム風から何になろうか /伊藤いずみ
人間は嘘を言うからずるいよね ありきたりだけど雪のつめたさ /小瀬川喜井
顕微鏡を覗けば満月みどりいろに光るわたしの愛しい子らよ /小原和
じんわりと受験生っぽくなるのでしょうカロリーメイトを鞄に忍ばせ /倉田政美
乳白の袋に名前書き入れて二つ捨てたり棘ある秘密 /大谷宥秀
作品Ⅱ(人集)
過ちてか自殺企図かと警官らの老爺に訊き入る更けゆく夜を /西一村
水鉄砲で落とせる距離か羽田への着陸態勢整ふる機は /宇佐美玲子
女ならヴィヨンの妻にならねばと夫の気持ちをしずかに掬う /伊藤恵美子
一休みしてもう一度雪を掻く今度は逝きにしあなたの分です /藤森悦子
忙しげに点滴の針固定してゆつくり息せよと看護士は言ふ /松本ミエ
冬至湯に柚子七つ八つ浮かばせて今年の明るき出来事おもふ /山口真澄
生の花置けざる友の病室に布のスイートピーくれなゐに咲く /庄野史子
電線に止まりてひたすら日の出まつ声も立てずに椋鳥(むく)の三羽は /上野幸子
騒音を撒き散らしゆく広報車「火の用心」を言ってゐるらし /相原ひろ子
子ら去りて常にもどれば犬の仔もわれにまつはり一日離れぬ /稲村光子
作品Ⅲ(月集)
漁場へと白波切って走る船明け初むる海すでに賑わう /奥寺正晴
雪・雪・雪・ひと冬雪に濯がれて無口無難な老とならんや /上野昭男
お日柄もお天気も良く参道を花嫁がゆく師走のをはり /谷蕗子
川霧を電車に渉れば突然に心に湧き来るロシア民謡 /中澤正夫
ミステリーに陰ある女優出演す今日の犯人このひとならむ /伊藤宗弘
鍬ひとふり打つことも無く相続の田畑を売りし従兄の暮し /香川芙紗子
昼おばけ出るのと言えばうなずいてそらそこに居る母は手を上ぐ /横山利子
なつかしき店主見つけて声かくに息子なりとう年月はるか /牧野和枝
「父よ父あなたは何をして来たか」子の声強く遠くに聞ゆ /中沢照美
こどもらの遊びし声が蘇るあの原っぱは波に消えても /桑島有子