マチエール
冬の陽を受ける背中の内側に冬のひかりはいまだ届かず 佐藤華保理
差し込みぬ 縦に折られた新聞の強姦って書けばいいのに夕陽 染野太朗
テトリスの長棒ゆるりと落ちてくる待たれている人だけが持つ影 富田睦子
熱の日は子の呼吸に寄りそって深い渓谷に降りてゆく鳥 木部海帆
まぎれなく極東の人わが顔を窓にうつして走る電車は 後藤由紀恵
席に着く前にタイトル出終わって映画が合っているか不安だ 山川藍
手の中であたためてから割るたまご命を産まぬ命もいとおし 宮田知子
永訣の音かもしれぬのに母が自転車を出す音は優しも 加藤陽平
夏の花火、冬の花火は打ち上がり過ぎ去るものは照らされてあり 田口綾子
手の中に「離婚するよ」とメール来て顔に受け続けるぼたん雪 北山あさひ
婆っちゃんは小さき茶碗で湯をすする寝ているだけの曾孫見つめて 大谷宥秀
行列のできるコピー機の隣にてわが軽やかに電卓を打つ 倉田政美
明らかに敵を作ってしまいたる会議終わりて気づくはつ雪 小瀬川喜井
仏陀のような頭のあの人は医療費払わずタクシーで去る 小原和
水泡にも壁の在ることしなやかに脆い けれども壁の在ること 荒川梢
作品Ⅱ
まもられて住む三階の居室にて十月台風の進路図を見る 川上則子
山ゆりは今年も咲けり検問を受けて立ち入る産土への道 鈴木美佐子
やわらかき黒土のうえに膝つきて草むしるときわれは無防備 宇佐美玲子
俺なんかまともに育った方だよな一面の黄なる稲穂を見て過ぐ 西一村
わが街から霧笛はたまた曳かれゆく筏も消えて霧たちこむる 前田紀子
露の世に生かされてゐる我なれど露のやうには無色になれず 田浦チサ子
膝の痛み少し和らぐ小春日の日溜りの中ほこほこと居る 岡田貴美子
今朝のからす追いつ追われつ電線に声を掛け合うごみ収集日 高尾明代
リヤカーを曳きて魚売る人去れば夕日に光る水跡ありぬ 稲村光子
不用意に愛こそ全てと口にして照れる間も無く冷笑される 矢澤保
作品Ⅲ
延命の処置はいらぬと妻に告ぐ茶飲み話のついでのように 上野昭男
かなへびを散歩させたら逃げちゃった そんな、見つかるまで探しなさい 松宮正子
神無月尽きしを電車の玻璃越しに秋の日差しの頬(ほ)に暖かし 高志真理子
秋に入りて十年日記の届きたり向かふ十年のいのち愛(を)しまむ 上野幸子
ハーネスを抜け野うさぎは跳ねに跳ね丘の向かうの月に入りたり 松山久恵
独り居に馴れたる夜を自販機のガチャンと音するあかり灯して 佐藤信子
米価格一俵三千円安くなる雷鳴くらいで妻よさわぐな 佐藤昌三
田から田へ雀の群れが飛びまはる稲穂の波を回遊魚のごと 杉山やす子
椅子ふたつ持ちだし庭に亡き母としみじみ今宵満月を見る 宝永冨美江
木製の歯車のように朝がきてとりあえずやっていこうと君は 浅井美也子