作品Ⅰ
喧嘩腰に歌を詠まむと起きがけにジーンズをはくわが誕生日 橋本喜典
羊雲のあひに残れるくれなゐを背(せな)にしながら会閉ぢむとす 篠 弘
三人目ぐらいで気付く「痩せたね」は「老けたね」ということだった 小林峯夫
境内を埋めし芙蓉の枝を切り払いて煩悩だけが明るし 大下一真
ジリオラ・チンクエッティの「雨」に濡れ昔男の見る冬しぐれ 島田修三
この道によく来るよなと日の差せる冬の林のくぬぎは言ふか 柳宣宏
移りゆく時間は思ひに先んじて黄蝶は三日目の庭に飛びこず 三浦槇子
今日走り敗けたる馬を思ふかなスカイツリーに見下ろす東京 中根誠
木漏れ日の此方の闇の照り出でてポニーテールの少女は過(よぎ)る 柴田典昭
花ならば如何なる花か嫋やかなりき壁に凭れてあなたを偲ぶ 今井恵子
パソコンの内部よりカサリと音聞こえ部屋益々に寂しきばかり 野村章子
その足に修繕されたる跡ありて合掌土偶は姿勢を保つ 松坂かね子
ある所までのうねりは白波に変り高まりて身に迫り来る 山本三芳
夕顔の花蕊に入りゆく蟻一匹 癌病む姉に言葉が探せず 小出加津代
まひる野集
顔のうへ蝸牛二匹を遊ばせて死後の景色もかざはなのなか 加藤孝男
選られざる矜(ほこ)りがありぬ売られいる霜降り飛騨牛厚みをみせて 市川正子
そのしくみ知るよしもなしスマホより鉱石ラヂオの遠き隔たり 升田隆雄
いわし雲空に広がる昼さがり葬りの間をしずかに佇てり 滝田倫子
桜島にけぶりたちたつ土地に生き土地に死にたし黒豚も人も 島田裕子
夕餉時狙ふ電話も来ずなりて干しつぱなしの漁網のやうか 竹谷ひろこ
行書より草書になりし起き臥しを嘗て咎めし夫でありしに 斎川陽子
きやらきやらと女子高生の過ぎしのち風にのり来る球児らの声 寺田陽子
壁一つ隔てて住めりベランダに小亀をらずやと問ひくる電話 小野昌子
月かげの窓を閉ざして思ふことみんなそんなに幸せぢゃない 麻生由美
みずからを失い施設に過ごす友ラフマニノフの曲を聴けるや 齊藤貴美子
ささやかな満足感が頭をよぎる並べし鯖は売り切れており 中道善幸
いつよりか頭蓋の内に蝉の棲み鳴く日鳴かぬ日鳴く日の多し 松浦美智子
ピンマイクのコード巻かれし本体のがんじがらめが転がっている 高橋啓介
成りゆきに決まりかゆかん身のめぐりレモン一滴紅茶にたらす 久我久美子
ベランダに番の雀とまりきて恐れ知らずや胸毛そよがす 柴田仁美
団栗に円ろく小さき穴をあけわが家に育ちし芋虫ふたつ 小栗三江子
グイグイと夫の引力強き日よどこまでも風に靡くコスモス 岡本弘子
あぶらぜみ動かずになり閉じられぬまなこに白き雲ながれおり 岡部克彦
この広き宙(そら)つづめたる物のごと水のほとりの蛍ひかりぬ 吾孫子隆