<マチエール>
秋空の鳥路のように滑らかにゴールデン街率【い】られて来たり 小島一記
長いものから順番にリモコンを並べる 旧い悲しみが来る 染野太朗
トイレにて会釈を返す少女らの膝下ながきをしみじみと見る 後藤由紀恵
きりさめの中やって来て終バスはまだあたたかい一斤のパン 米倉歩
清潔がひととひととを遠ざける夕焼けを吸い膨らむからだ 富田睦子
その昔われが拾ったドングリは子のポケットより 秋は巡りて 木部海帆
絶望のメモをのこせば私のきれいなペン字だけが救いだ 山川藍
自らは死ぬことも出来ず小さき虫這わせて青き実を下げるそれ 小瀬川喜井
ぶよぶよと家を満たしている気配このぶよぶよを家庭と呼べり 佐藤華保理
私を呼ぶ人がいると仮定してその人を想うその人の淋しさ 宮田知子
生え際が薄くなったとささやかれ曇る鏡を強く拭えり 大谷宥秀
ドライヤー切りし直後の沈黙に家は単純な図形となりぬ 加藤陽平
怒りたるクラゲのようにしんしんとひかりたたえる証明写真機 稲本安恵
窓をあけ風船のように朝風をウィダインゼリーとゆっくり吸いこむ 荒川梢
陶製のウサギの片耳もげたのが泣いた理由と知れば安堵す 倉田政美
重たくて背負えないリュック後悔を取り出しむしゃむしゃ食べたら軽い 小原和
<十八人集>
故郷に夫と来たりて瓦落ちし屋根を眺めてただ帰りたり 鈴木美佐子
その胸に草絮【くさわた】をつけて帰りきし夫のうつくしき疲労を妬む 伊東恵美子
身を焦がすほどにあらねば少々の不快は自然消滅を待つ 近衛綴
妻あらぬこの今のわれは自由なり深夜大海に浮きたるごとく 中沢隆
メモ紙にエンピツ書きの夫の文字小学校校歌第二番目まで 井上崇子
紙袋がビニール袋に包まれて雨の日少しやさしくなれる 関本喜代子
<作品Ⅱ>
引き馬の乗馬とききて乗りみるに馬は急なる山道に入りゆく 長戸良枝
出来たかと確かむるがに白鷺のめぐり飛翔す青き田の上 豊田麗子
おぼれぬよう言葉の海を渡りつつ時に浮輪の欲しきことあり 田村郁子
辰年はことさら暑きと記されきどうでもよい事ばかりが事件 大野景子