〈まひる野賞受賞作品〉

久我久美子「時の点描」

姉として生れたる故うしろから常に見てゐしおとうとの耳

飛びすぎて草生に紛れそのまんま戻らなかつたボールか父は

暗がりに入りゆく時に自が影を身体のどこへ仕舞ふのだらう

戦争を知つてるやうな暗緑の木の実をつけて椿の立夏

わが知らぬ水辺あるらし夫ほたる 携帯電話【ケイタイ】オフに出でて帰らず

こんな小さな夫の掌【て】だつたか夜半覚めて撫づればむむとうつつに応ふ

生れつき嘘が下手でとみづからを飾ればあばらの一本軋む

たわいなき事に声立て笑ひしを夜半に思へり髪洗ひつつ

追憶の母は人形のおもざしに眼【まなこ】みひらき空【くう】に頬笑む

真裸のままに山野を駆けめぐるいいではないか空想だもの


<作品Ⅰ>
口開けてピストルのごときをパンとうち気道広ぐる微粒子を吸ふ   橋本喜典

ベルを押す二人は布教をする女【ひと】か窓より日傘見下ろせるのみ   篠弘

焼け焦げし石像幾つか形見とし内外【うちそと】麗し浦上天主堂   関とも

寄り添いて嘴【くち】ふれているキジバトのつがうことせず 母と子らしき   小林峯夫

あえぐとも追うとも見えてクロールの選手の向こう金メダルある   大下一真

島田君、それはなあ、とぞ言ひさして、とにかく飲めと継ぎし声はも   島田修三

わたくしは自分ひとりで生きてゐますしたり顔とはかういふ面か   柳宣宏

鯉のぼり青のみ泳がす北の町つなみに攫われし子らを悼みて   三浦槙子

庭苔を持ち上げてゐる霜柱踏むに崩るる靴の形に   横山三樹

花の盛り月くまなきを見ざるまま教壇に春の憂ひをつなぐ   柴田典昭

どこからが声どこからが音か朝の光の中にセキセイインコ   今井恵子

母馬に寄り添い潮鳴り聞いている子馬のたてがみ野生の匂い   中里茉莉子

アルマーニの古ネクタイにつくりたる数珠袋より掬う水晶   曽我玲子

老い人の町となりたるわが町に金環食を見る人のなき   三宅昭人