何ヶ月も、ここに立ち寄らなかった


私は別のところで、とぼけたキャラクターで


ブログをつづっている


そのキャラクターは、全く偽り、というわけではないけど


本当の私とは、ズレてる


でも、そのズレが心地よい



母のことを忘れて


娘のことを忘れて


自分のことだけを考えていられる時間。。。



そんな時間を持たないと


やりきれない日常が続いている



きっと母が死ぬまで


いいえ


母が死んでからも


私は「アルツハイマーの娘」というレッテルを


ずーっと、貼ったままだろうから。。。



最近、よく思うのだけど


「母は、生きているのだろうか?」という疑問


当然、毎日ともに生活してるのだから


死んでるワケではないのだけど



病気になる前の、母の人格、というものは


とっくに喪失してしまっている


今の母は、完全に別人だ


見ていて情けないくらいの、


昔の母ではない


私の知らない人だ



母の人生って、なんなんだろうって


母の顔を見るたびに、思う


彼女は、壊れるために、生まれてきたんだろうか?



彼女が壊れることで


家族は、何を学ばなければならないんだろうか?



。。。逃げもしないけど


。。。向き合うこともできない



今に始まったことではないけれど


私の人間の器って、あまりにも小さいや。。。

現在、私は、壊れた母のすぐ近くに住み

日中は、母とともに過ごす


実家は商売をやっており

経理全般をやっていた母が壊れたものだから

私は呼び戻された形だ


お給料をいただきながら、母の介護をしているんだから、

恵まれているんだろう


その2年前に、私は「離婚」をしていた

元旦那は、農家の長男であり

離婚をしていなければ

私はきっと、母を見ることは、易々とはできなかったと思う


いろいろな偶然が

実は必然であったんだと思うようになったのは

そういう所以からだ


だけど

私は母に対して、良い感情を持っていない。

もし、父が存命でなければ

もしかしたら、戻らなかったかもしれない


私は母のことをずっとずっと憎んで、軽蔑していた


だからこそ、壊れた母の隣にいても

別に悲しいとも辛いとも思わず

介護ヘルパーのように

淡々としていられるのだと思う


ただ、ストレスは静々と

粉雪のように心に降り積もっているのがわかる


母が徘徊し、交通事故にでもあって、入院してくれないかな。。。


時々、ふっと、そんなことを考える


そう考えることは、人間として最低のこととわかってるけど

理性のもっと奥底から、

澱のように浮かんでくる感情は、制御仕様が無い


父は、母のことをかわいそうだと思っているらしい


どうして、「かわいそうだ」なんて思えるのか

父だって、散々、母にふりまわされたはずだ


ワガママで強欲で、自分のことしか考えず

自分の思うようにならないと、

病的なヒステリーを起こしていたような、女、に。。。


そう考えたときに

私の脳裏には、いつも娘の顔がよぎるのだ


娘も私のことを

ワガママで強欲で、自分のことしか考えてないと

思っているかもしれない、と。。。







毎日少しずつ、壊れていく


アルツハイマーを煩った、母。。。



「自分は病んでいる」と思い込んでいるけど


本当はきっと、病んでない、娘。。。



その中間で、私は


きっと、普通のはずだ、と


必死で「普通」にしがみつく、私。。。



この位置付けは、


何の為に、企てられたもの、なんだろう?



それを考えると、


「普通」から、引き裂かれる気分がして


あえて、考えない日々を、積み重ねる。。。



ただ、思い知らされている事実は


生まれてから、今までの経験が


この「位置」にたどり着くように


見事に、計画されている。。。



誰の計画なんだろう?


神の計画、なのか?


それとも、悪魔の計画、なのか?



いや、多分、それは。。。


私の中の、本来の私の、計画のような、気がしている。。。