エネルギーアート
アセンデッドマスター
ジャンヌ・ダルク
こんにちは🎶
スターシードのみなさまを覚醒に導くお手伝いをしています。
サイキックヒーラーのマハロリエです🌺
ついこないだまで、だれかの為に生きてきた。
それは小さい頃からそう。
幼稚園生の頃は可愛かった弟のために公園へ行き見守った。
弟のことが気になり、思いっきり楽しく遊びたいもので遊ぶという記憶がないような気がする、
ひとつだけ上げるなら芝生の坂を横転しながら、転がり遊びをしていたことが思い起こされるかなぁ。
数年の結婚生活では夫のために生きていて、自分の気持ちはまるでわからない。
子どもが産まれてくれたら、子どものためだけに生きていた。
だれかのためにしか生きていなかった。
まじでそれがわたしだった。
さかのぼると、
小学校中学年から20代半ばまでは性的嫌がらせを受けておりそこからは完全に誰かのために生きるというよりも、自分を隠してきた。
隠れていなければころされると感じる出来事があったからだ。
その出来事とは察しのいいあなたさまならお分かりになられるかと思います。
社会人になりアパレルのお仕事は洋服がすきだったというのもあるが、毎日スタイリングを変化させることで、他者から狙われるのを避けたかったのだと今では理解している。
私のしていたコーディネートは単におしゃれを楽しんでいたかと思いきや、他者から隠れたり逃れる処世術として身につけるようになった。
なので、自分の意見などは先生へ小学校中学年から言ったことがなかった。
言ったとしても的外れにおちゃらけるぐらいがやっとだった。
クラスの中で発言し目立ったら先生にも狙われた。
いかに自分を目立たなくするかにすべてを集中していて、勉強をあまりやってこなかった。
だから先生という呼び名がつく存在に意見を申しあげることを一切やってこなかった。
ここはいまから早巻きにしたい部分になる。
スピリチュアルを探求したら、メンターの先生方に質問や意見を申し伝える場面がとても多くあった。
意見を伝えること自体が、かなり勇気がいった。
そのつど、自分を表現するということをたくさん学んだ。
そして自分のために生きることを知っていった。
自分探求をすればするほど、生きている感覚を思い出してきた。
最近ようやくわたしのガイド存在が(死んだように生きるのをやめませんか。)こう伝えてきた。
生きているというのは自分を知ることだと感じてる。
知りたいし学びたい。
魂の自分を知りたい。そして自分のために生き直したいと思う。