ゴールデンウイークに久々に時間ができました。

今年だけでも、長崎、佐賀、福岡、岡山、兵庫、富山

福井、石川、福島、茨城、群馬、島根、広島、静岡、愛知

に出張いったぜ(書いてみるとすごい)

仕事充実(^^)



いやーー、最近、本当、お寺いけてないです。

ロスにいるときの方がちゃんといってたっちゅうねん。

なんでこんなことになったかというと、、

要は幸せだからなんですよね。



必要性がなくなる。。。

お陰様とか思えなくなって、

自分の力だけで勝負していると勘違いしはじめ、

そして、またそのうち気づかない間に、

「徳(善行)」の貯金をあっという間に使い果たし、

大殺界が訪れ、神様ーーー!仏さまーーー!ってなったりする。

愚かな羊、はい、それは私です。



いやいやいや、そこまでいかないで

何とか踏ん張ろうとはしています(実際は?)。

なんで踏ん張れるかっていうと、お寺いったあと、

特に接心をいただいたあとプラシーボとかではなく、

何か清まった気がして爽やかな気持ちというか、

元気になるんです。



宝くじが当たるとか、仕事がよくなるとか、

そういうのでもないんですが運勢もよくなる気が

(コレハキノセイカモ)。

で、やっぱ行きたくなってしまう(ご利益信心?)。

絶対的な悟りの世界に包まれる感覚をどこか求めている。




離れていると心腐ってくるから、

お寺に行く前とかお寺についたばっかりとか、

いやーな見方してたりするんです。

みんな暇だなぁとか、欲欲しいなぁとか、

金いくらかかってるんだとか(毒)。



ちゃんと歩みたいけど歩めない自分を

責めているうちに嫌になって、

ハイハイ自分はできてませんよ、

って一人で勝手にいじけてたり。

「いいこと」はわかってるけど、

それをするのが難しんだとか。



でも暫くするとだんだん、

あー俺の心汚れてたなってわかったりする。

なんか感動したりそういうことなんですが。

いい音楽を聴いたり美しい自然をみたり

そういうのにも似てるかもです。




普段からそうですが、もともと宗教って嫌いなんです。

だから「宗教」とか「スピリチュアル」とか

言葉的な定義によって枠をつけてそれを否定してしまう。



でも真如苑だろうが、宇宙だろうが、真理だろうが、

人間だろうが何だろうが実は同じなんですよね。

じゃ、なんで真如苑に特定するの?って

グルグルと同じところ回るパターンに陥ったり、

それをほかの真如苑の教徒の中にも、

そうなったりする方もいるかなと思います。



悟りってどんな方法でもあるし、

結構段階があるかなって思います。

で最終的にそこに答えがあるかなって腑に

落ちるところがあります。

それは、結局、一人でも多くの人が本当に救われるか、、

そこかなって思います。




宗教だったり、スピリチュアルだったり、

霊的なものとか、先祖とか、

目に見えないことってたくさんあるけど、

それっていわゆる、心の世界。



例えば、、とても苦しい思いをして、

つらい思いをして亡くなった人の思念だったりして、

それに対して納得いけるような言葉を

かけれるのって頭の良さじゃないんですね。

その人の経験から来る真実、

迷いのない本物しかないんだと思うんです。



こいつ口ではこんなに綺麗ごといってるけど、

もし同じ目にあったら、コロって変わるだろうなってやつ。

そんな人の云うこと説得力ないですよね。



だから口先だけでは自分は真理をしったとか、

宇宙と一体化したとか、面倒くさいこというやつとかいるけど、

仕事一生懸命してなかったり、

尊敬される行動ができてなかったりする。

シャバにすれていってしまったり子供なだけであったり、

絶対的な経験と純粋な心というこの相反する2点が、

なかなかうまくいかなったりね。



神仏の世界や霊的な世界なんかでは、

きっとそんなのおそらくお見通しじゃないかなって思います。



今年は接心についてうまく伝えたいなって思えば思うほど、

「言葉」だけのネットでそれを伝える難しさを

ものすごく感じています。



それでも、何とか自分が感じたことを

時間をかけて言葉にしたいと思っています。



今年は智流学院、研究生にようやくなれました!

補講をさ迷い歩かないように、

応現院の生授業をうける!(あやすい)



長文失礼しました~









謹賀新年。



2013年から2014年のお寺に対して総括をすると、

「シャバ世界に翻弄」です(←いつものこと)




二十歳のころから20年弱アメリカにいて、

日本に帰国し三年たちました。




正直、慣れるのに結構というかかなり大変でした。

それにしても中々、成長ってしないもんだなぁ。

い、いや、、、ずっと身長、182センチだとおもってたけど、

こないだ何十年ぶりにかに計ったら184センチになってた。

こうなったら最終的に2メートルは行きたいですね。




今年は接心の続きを書いて行きたいなって思っています。
前回のブログ




真如苑に行く大きな魅力は接心だと思います。

ただ、だからこそでもあるんですが、

具体的には書けないんです。




密教だからって一言で片付ける人もいますが、

それはどういうことかというと、

美しく綺麗なものというのは、

守れているという事でもあると思います。




例えていうと

ものすごく綺麗な和室にある美しい和紙かなんかを、

ドロドロになった靴でそのまま上がって、

さっきまでケンタッキーフライドチキン食べた(?)

脂でギトギトの手で触ったら、

やっぱり失礼だし

ちゃんと鑑賞できないし、

後々の人にも見せられないと思うんです。。




そういうわけで、

多くの人たちのために守るため、

様々な段階があるんです。

段階を経ていかないと、

触れられないものなんですね。




その段階はどの人にもできるようになっていますし、

本人がその気になれば

簡単なプロセスだと思うんですが、

ブログにおいて不特定多数の方にお話できる内容となると、

ものすごく限られてきます。




だからとっても慎重に行かないとって

思っていたのでブログが進まなくなったんですねー。




・・・あー、うまい言い訳ができたぞー、

やほーい(馬鹿たれ)




でも、それでも何で何とか書きたいと思うかというと、

やっぱりどんなに薦めてくれる人を信じていても、

本当に不安に思う方がいると思うんですは。





得体のしれないマインドコントロールが行われるのでは?!

みたいな。。。

もったいないなってものすごく思うんです。

身長だって伸びるんです!(ちがう)。




ではこんなおバカなブログですが、

2015年もどうぞよろしくお願いいたします。











皆様、ご無沙汰です。

最後の投稿が一年以上前!

いやー、、、光陰矢の如し、、

うんうん、うんうん、

時間ってあっという間ですね(←他人事かい)



で、教えから離れていたわけでもないんです。

ってか、相変わらずマイペースでさぼったり、、

さぼったり、さぼったり、さぼっ

・・・で遅々とした歩みではあります。



でも、むしろ昨年は智流学院という学問的に学べるクラスに

通い始めたりして、真正の真如教徒さんとして邁進中です。

ガッチガチです~(うそ)。



智流学院で驚いたのが、、、

自分のブログと何と超、ちょう、チョウ、、、、

似てる内容なんっすよ(勘違い?)。

正直びっくり。

やっぱりぼかぁ天才だなぁ(おにぎり)。



じゃ、最初の段階は行かなくても学べる内容なのかというとか、

近いけど当然、そんなことないんですね。



例えば真如苑の代表の法要のときのコメントって、

誰にでもわかるようにそれは優しいコメントなんです。



俺なんかひねくれてるから、

もうこそばゆくって逆に馬鹿にされてるのか?!

って時に思うぐらいなんだけど(病的?)、

智流学院ではもっと難しい言葉というか深いというか。

やるなーって思うんですよ(何故上から目線)。


知識的にも「納得」できることが多いです。



真如苑で根本にあるのは、

まず「世のため人のため」です。



綺麗な話だけど、

それって本気でやると難しいじゃないですか?

口ではいくらでも言えるんですよね。

悪く言う人がいるのもそりゃそうだと思う。

出来てない人は霊位がどうだろうが、

苑に縁が結ばれて長かろうがいっぱいいるし。

真如苑の霊位で一番高い霊能者だって

数はかなり少なくなるかもしれないけど同じだと思います。



俺なんかまずそうだしね。

中々、本気で人の為なんてできてないし。



自分大好きな人間なんかは幸せだけど、

単純に自分とは違う奴でしかないって認識だし、

そんな奴はどうぞご自由にってほっとけばいいし。

現実社会ってそんな綺麗じゃないから。



でも、、仏の教えを少しずつだけど、

実践して頑張ってくと、

ほんの少しだけど、

悟り、、、というと偉そうだけど、

そんな感じのことがあるんです。



言葉だけじゃ絶対わからないって思う、

本当少しかもしれないけど、

何か悟るみたいなところが出てくるんですね。



そういう段階ってあるんだなってわかるんです。

それが偉いとかじゃなくて、

真実ってなんだろって少しわかるんですね。



そういう人に向けた言葉、内容があるんです。

だからやるなーって思うんです。



やっぱり好きなのは自分の本当の感覚、

自分がちゃんとある人

そういう自分の言葉で語る人が好きです。



でも相手を見て、状況をも見て、

それにきちんと思いをあわせて話すって、

場合によっては中々難しいじゃないですか。



自分に正直に話す、純粋な言葉、、悪く言えば

好き勝手に言いたい放題も気持ちよく聞こえるときあるけど

心が弱ってる人にそれってきついじゃないですか。

わからない人に頭ごなしに言ったってわからないじゃないですか。

そういう相手の機根にあわせて話すってすごいなって思うんです。

しかも嘘じゃなくてね。



で、こういう言い方すると真如苑マンセーみたいになるけど、

当然、真如苑にいようがいるまいが、

そういう人が好きです。



智流学院については、

また時間を見て詳しく話したいと思います。



ではでは、久々の投稿でした(^-^)/