7月の体調不良、
8月の末期がん余命宣告を得て9月
私の家の近所に引っ越ししてくることになった。
そう提案したのは私。
高速で片道1時間くらいのところに住む姉たちの
生活フォローはできないと思ったし、
これからの母の事を考えるとこれがベストだと思ったのだ。
今もそう思っているけれども、
ここだけは後悔している部分でもある。
こんなに早く逝ってしまうのならば、
最期は住み慣れた
好きだった土地に居させてあげればよかったのではないかと。
でも、そうなると田舎だから病院がない。
緩和病棟がない、一般病棟しかない。
近くにスーパーがない、
9月はまだ大丈夫でも
これからどんどんやせ細り死に向かっていく過程で
車の運転もできなくなっていくだろう。
掃除も、
料理も、
なにもかも。
訪問看護にも来てほしくない
訪問医療も受けたくない
ああだこうだ言われて、
私は、はいはい、話を聞きうなずく。
そうなったとき、
仕事をして小学生を育てている私が
遠方まで頻繁に行くことはどうしてもできないと判断したのだ。
後ろ髪を引かれる思い出の引っ越しは、私も姉達もつらかった。
楽しく、面白く、綺麗な思い出がつまった土地だったから。
悲しかったよね、ごめんね。ごめんね。ごめん。
どうしてもあの頃、効率重視でしか動けなかったの。
残される母親の事を思うと、私は今ではなくて
姉が死んだ先の事を考えなければと思ってしまってたんだよ。
引っ越ししてからの整理期間も酷かった。
仕事を何度も早退した。
時にはお休みも貰って時間を作った。
なのに、酷い言葉で罵倒され、罵られ、
私の心は削られていった。
ああ、もの心ついた頃から、
そう思春期も、成人してからも
姉は私の心を削る人だったな。と思い出していた。
もう、この人の我がままで私は傷つかない。
そのまま終わらせない。
怒りがふつふつと沸いて、
爆発したのは9月の出来事。
どうしてなの。
助けてくれたこともあった、
子供達も可愛がってくれた.
一緒に子育てを手伝ってくれた、
姉妹仲良かった時は、本当に楽しかったのに。
なぜ、怒りで支配されてしまったんだろ。
もうすぐ死んじゃうっていうのに。
あと少しだからって我慢するべきだったんじゃないのか。
なぜ、余命少ない人に優しくできないの?
良心を持ったもう一人の私が私に問いかける。
それでも優しくなれなかったのはなぜなんだろう。
何に対して怒っていたんだろう。
たぶん自分の運命に対してだと思う。
ふと自分の生い立ちを思い返したときに、
その理不尽さにどうしても怒りを抑えられなくなったのです。
本当に苦しい、苦しい9月だった。
そして、周りとの縁がプツン、プツンと切れ始めたのもこの頃からだった。
現在振り返ってみると、切れるべきして切れた縁。
切れてよかったんだと思う縁。
追いかけなくて良かったなと思う縁だった。
なんの運気の流れだったんだろう。
どういう意味があるのだろうか。
だれか教えてほしい。
今までの運気の流れとは明らかに違う
辛い日々を送る中、
神経が敏感になっていたせいなのか
関わりたくない、関わるべきではない、それが敏感に反応し切れていく縁もあれば、
物理的に離れていく縁もあり
とにかく、私の周りが清算されていくようだった。
本当に苦しくて、逃げ出したくなるほどの9月だった。