他化自在天(paranirmita-vaśavartin)について、とてもおもしろい説明がありますので、ご紹介しておきます。それは、山城一石さま「『沙石集』における魔の研究」2011年度兵庫教育大学大学院学位論文の、序章「仏教の中の『魔』について」の一文です。なお欲界の最上位である他化自在天にある宮殿に住するのは、欲界の主・(四魔のひとつとしての)自在天子魔とよばれるマーラ(māra. 魔王。波旬pāpiyas)であるといいます。
他化自在天では、願いは総て叶い、望むものが自由に得られると言う。本来、他化自在天の住む神々は、衆生を幸せにすることを快楽とするものであった。殊に欲界の主・天魔は天界・人間界のみならず、地獄界までを含めて欲界全体にわたって自由自在に楽しみを与え、衆生が楽しむことを自らの喜びとしていた。ところが、仏教が広まって衆生が次々と悟りをひらいてしまうと物欲や色欲など、欲望のままに生きる人間が減り、結果的に天魔は快楽が得られなくなってしまう。そのため仏教が広まることを執拗に妨げようとするのである。一方人間の側からすれば、天魔が与える一時的な快楽は人びとの欲望をかき立て、悟りをひらくための修行を忘れさせる。そうなれば、当然人々は六道の苦しみから永遠に逃れることができなきなくなる。そのため天魔は人々から忌み嫌われ、畏れられたのである。
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「他の化作する所の宮殿園林一切の樂具、(その)中に於いて自在の計を作し、此は是れ、我所なりと、(その)中に於いて樂を受く。(故に、[第六天を]波羅para-維摩婆奢vaśa)と名づく。『立世阿毘曇論』巻第六(vol.32, 198b2-4)
「魔王、常に來りて佛を嬈(じょう)す(= 妨げる、煩わす)。又た是れ一切欲界の中の主たり。」『大智度論』巻第十(vol.25, 134c27)
魔については、成道との関わりにおいて、興味、深い関心を持っています。
岩井昌悟「マーラの變容――死魔から他化自在天へ」などが参照されます。