延命十句観音経の基本文献情報
『十句観音経』は、中国で作成されたお経です。『十句観音経』に言及する最も古い文献は
『太平広記』(977-978年)巻一百一十一 報応十 観音経 王玄謨の条
『太平御覧』(977-983年)巻六百五十四 釋部二 談藪の条冒頭
であり、古小説集『談藪』(隋581-618年ないし唐初に成立)に曰く、として、処刑されそうになった王玄謨が、夢の中で観音経千遍を誦ずる代わりとして、現行の『十句観音経』とほぼ一致する経文を読誦することを勧められ、常に読誦することで危難を免れた、という逸話を等しく記録しています。ただし題名は言及されず、『十句観音経』の名が記されるのは、巻第三十六に文帝(義隆高祖第三子)元嘉二十七年(450年)の条を含む、志磐『仏祖統記』(1269年)です。
王玄謨と観音経の結びつきについて「信憑性は乏しく」、上記の三つの文献が撰述された宋時代(そう、960年 - 1279年)の頃に普及していたということを示唆するのみである、といいます。また敦煌文献S4456『抜苦観世音経』、北斉(ほくせい、550年 - 577年)代の造像碑に記される、2種の「仏説観世音経」が、『十句観音経』の源流として検討されるとのことです。
日本において、十句観音経が、こんにちのように普及するに至ったのは、白隠慧鶴禅師(1686-1769年)による功績です。禅師は『延命十句観音経霊験記』を著わし、延命の功徳・霊験あらたかなるを讃えた、といいます。わたしたちはいま「延命」の二字を加えて十句観音経をお唱えしています。ここではまず、伊藤 丈先生『七観音経典集』を参照して、本文の読み下しと現代語訳を記しておきます。
延命十句観音経
観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心
(読み下し文)
仏と因あり 仏と縁あり 仏法僧(の三宝)の縁もて 常楽我浄(の四徳を得ん)
朝にも観世音を念じ 暮にも観世音を念じて 念念に心より起こさば 念念に心を離れず
(現代語訳)
観世音よ、(われは)仏に帰依したてまつる。人はみな、観世音と同じく、仏となることができる種子を有つ。人はみな、観世音と同じく、仏となることができる縁を有つ。仏と法と僧との力によって、仏果(涅槃)にそなわる、永遠・安楽・絶対・清浄という四つの徳が得られるのである。朝に観世音を念じ、暮にも観世音を念じて、一念一念、一声一声に真情をもって、この経を誦えるならば、その心は、観世音の心と離れることなく、観世音と一体となるのである。
(この記事はつづきます。)