長者窮子の譬喩に対する標準的な解説を以下にご紹介いたします。
菅野博史『法華経 ―永遠の菩薩道―』大蔵出版1993よりの抜粋です。少しばかりの補い以外、筆者のコメントは一切付してはいません。とくに下線を引いた箇所をどのように理解するかが問題となるようです。
長者窮子の譬喩
四大声聞(= 須菩提、大迦旃延、大迦葉、大目犍連)は(、舎利弗への授記の後、千二百人の阿羅漢に対して説かれた)三車火宅の譬喩に対する自分たちの理解を譬喩によって示そうとする。そこで説かれた譬喩が有名な長者窮子(ぐうじ)の譬喩である。譬喩の粗筋を示す。
ある子が幼いときに父のもとから逃走して、十年、二十年、五十年と長い期間、衣食にも困窮しながら他国を流浪した。一方、父は子を捜し求めながらも捜し当てることができず、ある都市に住みついて、莫大な財産と高い地位を得た。
窮子(困窮する子の意 dairidra-puruṣa)は偶然(もしくは、次第に)、その都市にたどり着き、父の邸宅の門の側で遠くから父の姿を見るが、もちろん父であるとは思いもつがず、「このような王のような威勢のある人の所は自分にふさわしくない。長くいれば、捕まえられ強制労働をさせられてしまう。むしろ貧しい村に行って衣食を得よう」と思って(、恐怖におそわれ)急いで逃げ去った。
そのとき、父は(自宅の門前にいて)、窮子の姿を一目見るなり、変わり果てた姿であるが、可愛いわが子であることに気づき、心は歓喜で満たされた。そこで、すぐに(足の速い)側近に窮子を追いかけて捕まえ(力づくで引き連れてこ)させた。ところが、窮子は自分は何の罪もないのに捕まえられ、きっと殺されると思って気絶してしまった。遠くからこの様子を見ていた父は、窮子の心が長い流浪のためにすっかり卑しくなってしまっていることを認め、すぐに父の名のりをあげることを諦めて、窮子の顔に冷水を浴びせて気絶から目を覚まさせて(= 蘇生させて)解放させた。
窮子は命拾いをしたと喜んで、貧しい村に行った。その後、父は貧しい村に似つかわしい貧相な二人の使者を窮子のもとに送り、二倍の給金が貰える糞便の汲み取り(saṃkāra-dhāna)の仕事があると誘わせた。そして、窮子は父の邸宅で下男として汲み取りの仕事に従事することになった。ある日、やつれ果て、汚れた息子の哀れな姿を、父は窓から覗き、自ら汚れた姿に変装して窮子に近づき、言葉を交わす仲になった。その後、父は窮子に「いつまでもここで仕事をしなさい。どこにも行かないように。給料も増やしてあげよう。必要なものは何でもあげよう。おまえは他の労働者と違って真面目(曲がったことも、詐欺も、高慢も、塗糊もない)だから、私を父のように思いなさい。私もおまえを息子のように思おう」と告げ、窮子に「息子」という名前を付けてやった。窮子はこのような良い待遇を喜んだが、相変わらず自分のことを単なる下男と思って、二十年間、汲み取りの仕事に従事した。
二十年後、窮子は父に信用されて、父の邸宅に自由に出入りできるように(、すなわち召使いと)なるが、自分は相変わらず粗末な小屋に住んでいた。そのころ、父は病にかかり、死期の遠くないことをさとって、自分の莫大な財産の管理をすべて窮子に任せた。窮子は財産の管理をしながら、昔の下劣な心(窮子であるという思量)を払拭することがまだできずに、財産の少しばかりも自分のものにしようとせず、住まいの小屋のままであった。
また、しばらく過ぎて、ようやく窮子の心も立派になり、かつての卑しい心を恥じるようにもなった。そこで、父は、国王、大臣、親族のものを自分の臨終の場に集めて、彼らの前で、父子の名のりをあげ、すべての財産を窮子に相続させることを宣言した。窮子は父の言葉を聞いて「私はもともと何も望んでいなかったが、今や宝の庫が自然にやってきた(今、遂に、取り戻された/回復されたpratilabdha)」と大いに喜んだのである。
『法華経』の七喩の中で、仏を父にたとえ、衆生を子にたとえる譬喩は、三車火宅の譬喩と長者窮子の譬喩と良医病子の譬喩の三つである。仏と衆生を父子の関係と見ることは、仏の衆生に対する慈悲を、親の子に対する情愛に等置させたもので、大衆に仏の慈悲を感じさせる上で大きな効果を持ったであろうことは容易に想像がつく。『法華経』において仏と衆生を父子にたとえた譬喩は三つあるが、仏の偉大な慈悲がひしひしと身に迫って感じられものは、何といっても長者窮子の譬喩であろう。たとえば、わが子の苦労する姿を窓から覗き見した父は涙を抑えることができなかったであろう。その物語を聞く我々も思わず涙を誘われる場面である。
長者窮子の譬喩の意味
四大声聞は譬喩を説いた後、自らの譬喩の説明をする。それによれば、長者は仏のことであり、窮子は声聞を指す。声聞は小乗の教えに執著し、小乗の涅槃を得るという、わずかな日当で自己満足する。声聞が煩悩を断ち切ることが、糞便の汲み取りの仕事にたとえられる。釈尊は小乗に執著する声聞に対しては、彼らにも如来の知見があると説かなかったが、それは窮子が実は長者の子供であり、長者の財産を相続する権利があることを打ち明けなかったことにたとえられる。最後に『法華経』においてただ一乗だけを説いたのは、窮子が長者の実子であり、すべての財産を贈与されたことにたとえられる。
この譬喩は、声聞は本来仏の子であるが、自分から仏のもとを離れる、仏に出会っても、仏の子であることに気づかない、仏も声聞の心の下劣さを知って、すぐに仏の子であることを打ち明けず、長い期間、さまざまな方法で教化して、最後に仏の子であることを明かす、というものである。(中略)この譬喩の中に、父が窮子を教育する過程が段階的に詳細に説かれている、(中略)つまり、仏が声聞をさまざまな方法で教化しる過程が詳しく明かされているということである。
以上です。