サラスヴァティー(Sarasvatī)は元来、河川の名称であったことはよく知られています。(決して高級インド茶葉の品名ではありませんので、ご注意ください。)

 

saras(サラス)という語は、「湖・池」(大量の水)の意であり、-vatは所有を表わす接尾辞、その女性形が-vatī(ヴァティー)というわけです。ですから、「豊富な水量をそなえた/もしくは、(聖なる)湖を有する[河川]」という意味となります。それは「最上の河川」(nadītama-. 生活拠点として優位性を述べる)なのです。ガンガー河(Gagā)、とか、ヤムナー河(Yamunā)など、インド古典語では、河川はみな女性形の名詞です。

 

サラスヴァティーという河川は、神話上としてのみあるのでなく、現代の、インド・ハリヤーナ洲、ラージャスターン州をパキスタン国境に向かって流れ、途中で砂漠に没する末無川となる、ガッガル・ハークラー川(Ghaggar-Hakra、前者はインド側、後者はパキスタン側の呼称)とする見解が広く受け入れられています。その川の周辺地域は、往時のインド・アーリア人たちにとってインド亜大陸最初の定住場所となったようなのです。一方、神々に対して捧げられた「讃歌」を集成した『リグ・ヴェーダ』聖典では、サラスヴァティーは「山岳地帯を流れ、大量の水を流す急流」として描写されています。そのギャップをうめる解釈として、その彼らが、そのガッガル・ハークラー川に、カーブル峠を通り、インド世界に入る以前、アフガニスタン周辺の丘陵やステップ地帯で過ごした頃の豊かな河川(the Avestan Haraquaiti rever in Afghanistan)、あるいは遊牧・移住の過程で出会ったであろうさまざまな河川の記憶を「まほろば」としてのサラスヴァティーにたくしているようなのです。(とても、魅力的な説明です。)

 

まず上記は、山田智輝 学位論文「RgvedaにおけるSarasvatīの研究」論文内容の要旨、「環境変化とインダス文明」2007年度成果報告書、プロジャクトリ-ダ 長田俊樹 などを参照しました。

 

サンスクリット語の辞書は、sarasのもつ意味として、さらにspeachを加えています。それは、女神としてのサラスヴァティーを説明するために新たに付け加えられた意味(a meaning given to account for saras-vatī)とあります。このような意味を付すようになったのは、いつの頃であるのか、特定はできませんが、同じくヴェーダ聖典に登場する女神で、ことばの神であるヴァーチュvac、そして、ことばの本源は水(太古の原水)の中、海の中にあるとされるとのこと、そのことばの女神とサラスヴァティーが結びついたその前後(おそらくその後。ブラーフマナ文献において)でありましょうから、近世的なことではないことは確かです。それを受けて、『大日経』では、「弁才」(弁舌巧みな才能)、「美音天」、「妙音」と翻訳されているのです。なお「弁財」という名称表記であれば「弁才財福」となるのです。(ラムちゃんの幼馴染は「べんてん」といいますが、ラムちゃんは鬼族であり、べんてんは福の神族という設定だそうです。)

 

前置きをそれくらいにして、弁才天のご真言について、お話しをつづけます。考察対象となるのは、ヲン ソラソバテイエイ ソワカです。これは『大日経』「普通真言蔵品」第四における、Nama samantabuddhānā Sarasvatyai svāhā /の前半部分をOṃに書き換えたものです。(その書き換えの意図については、権・実の問題となるのでしょうが、いまはさほど気にする必要はないでしょう。)

 

以下、浄厳和尚『大弁才天秘訣』巻中より「第十三 真言義」のご紹介となります。 まずつぎのように始まります。

 

第十三 真言義

凡(おおよ)そ、真言(mantra)において、句義・字義の二重あり。一往分別すれば句義(ことばの表面的な意味)は浅略なり、多名顕句(一つ、あるいは二つ以上のことば・文字をもって一つの意味を表わす)のゆえに。字義は深秘なり、一字多含(一つのことば・文字には多くの意味を含む)のゆえに。もし再往理実には、句義・字義同等にして、さらに浅深の異なりなし。能(よくよく)意を著わして翫味すべし。

 

まず、浅略義の部分をご紹介いたします。

 

ヲン字は帰命の辞、行者、いま本尊に帰依(帰命に同じ)し奉(たてまつ)る[の]義なり。

 

ソラ字は妙の義、美の義、ソ バ テイエイは音の義なり。四字合しては妙音なり、また美音なり。すなわち本尊の名字なり。

 

弁才天の梵名を「妙音」天、「美音」天と翻訳することを前提としての解釈です。でもわたしたちは弁才天の梵名は Sarasvatī であり、ご真言でのSarasvatyaiは、Sarasvatī(多音節の女性ī語幹)の為格であることは既に知っています。

 

ここで原著者の意をひろっておけば、おそらく、ソラ字をsat(妙、真実。『妙法蓮華経』の「妙法」Sad-dharma)と解し、ソバテイエイをsvara(スヴァラ。観音の「音」)にならって処理したものと考えられます。

 

この名字にまた浅略・深秘の二重あり。浅略には、世門通途の自在の弁才なり。深秘には五智の法音なり、この法音は甚深広大にして不可思議なり。[以上は]<妙の義>[、]尽善尽美[は]<美の義>、故に爾かいうなり。

 

五智とは、ここでは大日如来のそなえる五つの智慧をいいます。

 

ソバカ(svāhā.一般には、ソワカ)とは、究竟の義、円満の義、成就の義、散去の義等なり。

 

次に字義釈となりますが、字義釈に費やされる文字数が、浅略義の十七倍ほどの分量となります。(すごく詳細である、ということです。「一字多含」ですから。)すべてはご紹介できませんが、重要なところを少しだけです。まず次のような記述からはじまります。

 

次に字義釈とは、総・別の二釈あり。まず、総釈の「ヲン ソ ラ ソバ テイエイ」の五字は五智・五仏なり。次に別釈とは、五字[を]次第に委(くわ)しく釈すべし。

 

ヲン 法界体性智 中央 大日 (如来部)

ソ  大円鏡智 東方 阿閦佛 金剛部

ラ  平等性智 南方 宝生佛 宝部

ソバ 妙観察智 西方 阿弥陀佛 法部

テイエイ 成所作智 北方 不空成就 (羯磨部)

 

以下、ヲン字の説明となりますが、いまは省略します。ソ字についての説明を抜粋して示します。

 

第二にソ字は、この字の本体はサ字なり。サ(sa)字は堅(sāra)の義、いわく、金剛堅固の菩提心<法>、阿閦佛<人>なり。(後略)

 

また次にソ字は妙(*sat)の義、善の義なり、普賢(Samantabhadraのsa)大菩提心の体は遍一切処<普>、最妙善<賢>のゆえに。(後略)

 

また次にソ字の本体はサ字諦(satya真実)不可得の義なり。然るに、天台宗に、如意珠(cintāmai如意宝珠)をもって三諦円融の譬とすることあり。いわく、如意珠より七珍万宝を雨(ふら)すは、因縁生の故に、仮(けprajñapti)諦なり、諸物を雨すといえども、その珠中[には]一物[も]無し。無けれども自在に雨せども、体空(= 自性空)なるは、亦空亦仮の義の故に、中道(ちゅうどう)なり、いま三諦不可得のサ字を以って菩提心の宝珠とすること、是れを以って知るべし。(以下、省略)

 

第三・ラ字、第四・ソハ(ソバ)字、第五・テイエイ字の説明は省略します。以上、ヲン ソラソバテイエイ を五つに分けて詳細に説明し、その結論として「この五字はすなわち五部の宝珠(如意宝珠)なり」と記しています。(詳細は、心してお伝えしなければなりませんので、ここでは割愛しています。「猥に漏洩することなかれ」ともあります。でも準備が調えば、ご紹介できましょう。)

 

最後に、テイエイの発音の仕方についての説明があり、浄厳和尚によれば、ただしくは「テイヱイ」と発音すべきとのことです。

 

いわく、タヤ(ta-ye)にエイ(ai)点を加えて反音するとき、上半はタエイの反テイ<エイ点にまたは、エイの音あり>[となる]、このイの韻を略してテを成す。ヤ(ye)にエイ(ai)を加えて反音すれば、ヱイの音を成す。合してはテヱイというべきを、テイヱイと呼ぶことは、テよりヱイに移るとき、ヱより前に微細にイの声あるが故に、その呼[を]顕してテイヱイというなり。

 

微に入り細に入り説明が施されているのです。そして驚くほど、サンスクリット語の音に近く発音するように指示されているのです。以上、ヲンソラソバテイエイソワカいやちがう、ヲン ソラソバテイヱイ ソワカ についての簡単なご紹介でした。

 

もうひとつ、弁才天に対するご真言をご紹介いたします。それはアバヤーカラグプタAbhyākaraguptaが11-12世紀に編纂した『サーダナ・マーラー』SādhanamālāのNo.167において、20万辺となえよと要請されるマントラです。それは以下のようにあります。

 

“Oṃ picu picu prajñāvardhani jvala jvala medhāvardhani dhiri dhiri buddhivardhani svāhā” 

オーム 押しつぶせ 押しつぶせ 智慧を増幅するものよ 燃えろ 燃えろ 思考力を増幅するものよ 保て 保て 理解力を増幅するものよ スヴァーハー

 

というものです。サラスヴァティーの基本的な徳性、元来の功徳がただしく後世にまで伝えられていることの証左となります。このマントラについては、園田沙弥佳「『サーダナ・マーラー』におけるサラスヴァティー成就法」印佛研第72巻第1号を参照しました。和訳も女史によるものです。