宇賀弁才天の八臂の持ち物について少し分析します。
まず「大弁財天讃偈」における持物「弓・箭・刀・矟・斧・長杵・鉄輪・羂索」との比較・対応です。その利益については、伽梵達摩(がぼんだつま)訳『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』(『千手経』)との比較・検討です。
比較の結果は以下の通りですが、少し説明を加えます。
まず宇賀弁才天の八臂の持ち物のうち、「大弁財天讃偈」のそれと対応が認められるのは、「弓・箭・刀・矟・斧・長杵・鉄輪・羂索」(黒字)の五つです。したがって、宇賀弁才天の八臂の持ち物で、特徴的なものとしては、宝珠(如意宝珠)と宝鑰(『千手経』では「寶印」)が指摘されます。「宝棒」は「大弁財天讃偈」のそれとは対応せず、また『千手経』「髑髏杖*daṇḍa」とも異なるようです。またそれぞれの持物がもたらす功徳・利益についても、『千手経』の記述と全く一致していません。それは ≒、≠ で評価してあります。考えられるのは、その功徳・利益は、おそらく、『観音経』に説かれる七難「火難、水難、羅刹難(風難)、王難(刀杖難)、鬼難、枷鎖(かさ)難、怨賊難」、三毒(欲、瞋、愚癡)、二求(にぐ)の観世音菩薩の名号を称えること、礼拝し供養することの功徳から採用されたということです。その中にあって、右第四・宝箭の「無間の業(無間地獄の苦果をうけること、そしてその業因となる行い)を離れて(仏果の位を成せしむ)」というのは異質であるといわなければなりません。でも、とても重要です。
左第一 宝珠(cintāmaṇi) 如意輪観世音
(利益)貧賤の身を離れて富貴の報を成せしむ。(≒種種の珍宝・資具を授ける『千手経』)
第二 宝鉾 馬頭観世音
(利益)横殃(予期しない災難や非業の死をとげること)の難を離れて丈夫の相と成せしむ。(≠他方の逆賊を辟除する)「矟」
第三 輪宝 准胝大悲観世音
(利益)醜陋(しゅうろう)の相(心中の貧しさのあらわれ)を離れて敬愛(けいあい)の報を成せしむ。(≠菩提の心より退轉させない)「鉄輪」Cf.『観音経』長行「衆人愛敬」、「福徳・智慧」
第四 宝弓 大悲大聖観世音
(利益)刀杖の難を離れて安楽の報を成せしむ。(≠栄官益職を授ける)
「弓」
右第一 宝剣 大悲千手観世音
(利益)愚癡の罪を離れて弁才の相を成せしむ。(≠一切の魍魎鬼神を降伏する)「刀」
第二 宝棒 十一面観世音
(利益)呪詛の難を離れて無病の報を成せしむ。(≠一切の鬼神を意のままにする[髑髏杖])Cf.『観音経』偈文「呪詛諸毒薬 所欲害身者」云々。
第三 宝鑰 不空羂索観世音
(利益)盗賊の難を離れて聖王の位を成せしむ。(≠弁才巧妙を授ける[宝印])
「宝鑰」の「鑰」は鍵Keyのこと、宝蔵の扉の開閉に用います。では「宝印」は具体的には何をいうのでしょうか。ここでは、西国五番札所 紫雲山葛井寺さまの千手観音さまのお姿を検索し、ペーストしておきます。
第四 宝箭 大悲白衣観世音
(利益)無間の業を離れて仏果の位を成せしむ。(≠善き朋友に逢わせる)「箭」
もうひとつ考察を行います。それは、八臂(そのそれぞれの持ち物)が、観世音菩薩に配当されていることです。「八大観音」という表現は、『大日經疏演奧鈔』などにもあり、現図胎蔵マンダラにも、その八尊は、蓮華部院、遍知院、虚空蔵院・蘇悉地院に配されています。(白衣観世音については複雑ですが。)
ではなぜ、宇賀弁才天は観音さまと関連付けられるのでしょうか。それについては、浄厳『大弁才天秘訣』における、大弁才天の「本地」に関する記述が参照されます。