先日、仏典に表れる「和」とその類語の代表的な用例に関する投稿記事(2024/12/4)で、八正道の正思惟(正しく思念すること)の説明としての「和敬」の用例として、後漢・支曜訳『仏説阿那律八念経』(大正No.46)の一節をご紹介いたしました。『阿那律八念経』ははじめて耳にした経典です。知らないままでは済まされないので、ここにおいて『阿那律八念経』における四聖諦・道諦の内容である八正道全体に対する所説(漢文のままですが)をお示しすることにいたします。やはり特徴のある、興味深い文献のひとつでした。
八正道に関する、基本情報として、【原語】パーリ語ではariyo aṭṭhaṅgiko maggo(「八つの支分よりなる聖なる、もしくは聖者の道」の意)。サンスクリット語の表記は āryāṣṭāṅgamārga。「八聖道」とも表記されるときもありますが、「八正道」が一般的なようです。【概要】いわゆる初転法輪のときに説かれた、1)四聖諦の道諦「中道」の具体的な内容であり、2) 「八支聖道を修習し、八支聖道を多習する比丘は、涅槃へ向かい、涅槃へ傾き、涅槃へ傾倒する者となる。」(『相応部』道相応133第一海向経)、「この二辺(楽・苦の二辺行)を捨てて中道を取ることあらば明を成じ、智を成じ、定を成就して而も自在を得。智に趣き、覚に趣き、涅槃に趣く。謂はく八正道なり。」(『中阿含経』第五十六「羅摩経」大正No.26. vol.1, 777c29-778a2)とあるように、三十七菩提分法の一科とされます。八正道について、パーリ語仏典の原文が示されるWikipedia「八正道」の情報をもとにし、下記の参照資料を用いて、必要事項を書き足してレポートします。【参考資料】『望月仏教大辞典』「八正道」の項pp.4214-4215、『岩波仏教辞典』第一版1989「八正道」の項p.664、『仏教思想辞典』武邑尚邦、教育新潮社1982「八正道」の項p.406-409、『現代仏教聖典』東京大学仏教青年会編、大蔵出版p.58-61など。では本文を示します。
何謂道諦、謂八直道。正見・正思・正言・正行(正精進)・正治(正業)・正命・正志(正念)・正定。
※ここでは「八正道」が「八直道」とあるなど、訳語は一般的なものとかなり異なっています。また正行(正精進)の位置が相違します。通常、八正道は、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定、の順序で示されます。
何謂正見。正見有二。有俗有道。知有仁義、知有父母、知有沙門梵志、知有得道眞人、知有今世後世、知有善惡罪福、從此到彼以行爲證。是爲世間正見。已解四諦苦*習[補遺:集に同じ]盡道、已得慧見空淨非身。是爲道正見。
※『阿那律八念経』では、八正道すべてにわたって、世間的な説明(有漏なる八正道)と出世間的な説明(聖なる、聖者の無漏なる道)の二種が説かれます。「道」という訳語が「世間」に対して、「聖」を意味しているようです。
正見(正しい見解)は一般的には次のようにあります。「苦についての智、苦の集起についての智、苦の滅尽についての智、苦の滅尽に至る道についての智を正見とよぶ」、あるいは「正しく眼の無常を観察すべし、かくの如く観ずるをば是を正見と名く。正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜[補遺:本文の「善」を「喜」に訂正する]を離れ、貪を離る。喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」云々。正見の世間的な説明としては、以下のようにあります。「生きとし生けるものは、業(だけ)を自己の所有とする、業(だけ)を相続する、業(だけ)を(輪廻的生存の)起原、原因とする、業(だけ)を親族とする、業(だけ)を依り所とする。布施の果報はある、善悪の行為に果報がある、現世・来世は存在する、この世において、正しい道を歩み、正しく行じ、自らの智慧によって今世と他世を悟り、(それを他者に)説く沙門バラモンは存在する」など、です。
正思亦有二。思學問、思和敬、思誡愼、思無害。是爲世間正思(学ぶことを思念し、和み敬うことを思念し、慎み深く倫理的に生きることを思念し、生き物を害さないことを思念する。これが世間的な[意味での]正思である。)思出處、思忍默、思滅愛盡著。是爲道正思。
同じく、正思惟(正しい思惟)は、「出離(離欲[世俗的なことがら、すなわち財産、名誉、五欲などから離れること]を思惟し)、無瞋(憎しみなきことを思惟し)、無害(怒りなきことを思惟する)を正思惟とよぶ」とあります。
正言亦有二。23不兩舌、不惡罵、不妄言、不綺語。是爲世間正言。離口四24過、講誦道語、心不造爲盡、無復餘。是爲道正言。
同じく正語(正しいことば)は「妄語(虚言、うそ)、離間語(両舌とも。)、粗悪語(誹謗中傷、粗暴なことば)、綺語(無駄ばなし)を離れることが正語と言われる」とあります。正語については、世間的な説明と出世間的な説明は共通するのでしょうか。ただし、『阿那律八念経』における下線部は注意されます。
正行亦有二。身行善、口言善、心念善。是爲世間正行。身口精進、心念空淨、消蕩滅著。是爲道正行。
「行」はvyāyāma精進の訳語なのでしょうか。同じく正精進(正しい努力)は「いまだ生じていない不善は、これは生じないよう、已生の不善は、これを断ずるよう、未未生の善は、これは生じるよう、生じ成された善は、これが拡大(増長)するよう、関心をもって(意志を発して)、努力し、精進すること」とあります。これは三十七支菩提分法における「四正勤」に同じ。
正治亦有二。不殺盜婬、不自貢高、修徳自守。是爲世間正治。離身三惡、除斷苦*習、滅*愛求度。是爲道正治。
同じく正業(正しい行い)は「殺生、盗み(不与取)、非梵行(邪淫、性行為)を離れることを正業と呼ぶ」とあります。
正命亦有二。求財以道、不貪苟得、不詐紿心於人(いつわり、心、人を欺くかず ?)。是爲世間正命。以離邪業、捨世占候、不犯道禁。是爲道正命。
同じく正命(正しい生活)は「(この世で)邪な生活を捨てて、生計を正当なものにすること」、「如法に衣服飲食床褥湯薬の諸の生活の具を求むる」こととあります。必要以上のものを保有しない。
正志亦有二。不嫉妬、不恚怒、不事邪。是爲世間正念。離心三惡、行四意端、清淨無爲。是爲道正志。
同じく正念(正しい思念)は「身体について、身体を観つづけ、受(感受)について、受を観つづけ、心について、心を観つづけ、法について、法を観つづけ、正知をそなえ、気づきをそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住する。」をいいます。三十七支菩提分法における「四念処」に同じ。四念処(自共相をもって身・受・心・法を観察すること)に注意を向けて、常に今現在の内外の状態に気づきをそなえた状態をいい、ここでは「四意端」と訳されているようです。
正定亦有二。性體淳調安善安固、心不邪曲。是爲世間正定。得四意志、惟空無想不願、見泥洹(「涅槃」に同じ)源。是爲道正定。
正定(正しい心統一)は、「諸欲から離れ、不善の諸法から離れ、有尋・有伺にして、遠離より生じた喜悦と楽ある初禅を達して住む」、以下、第二禅、第三禅、第四禅に達して住することをいいます。
是爲道諦。比丘捨家、棄捐恩愛、安靜思道、無所戀慕、意不隨欲、淨無罣礙。是爲道。
2500年前以上の、今夜から明日の明け方にかけて、お釈迦さまはさとりを開かれたといいます。その準備として、「八正道」についての記事を取り急ぎ作文しました。いまだ十分ではありませんが、おおよそ、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定についての理解が得られたようです。明日は成道会です。合掌